縄文人はスーパースター!?【月刊Newsがわかる11月号】

どんな人? やなせたかしさん【ニュース知りたいんジャー】

「アンパンマン」を生うんだ漫画家まんがかのやなせたかしさん(1919~2013年ねん)と小松暢こまつのぶさん(1983~93年ねん)の夫妻ふさいをモデルにしたNHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつ「あんぱん」の放送ほうそうが、3月がつ31日にちに始はじまりました。やなせたかしさんは、どんな人ひとなのでしょうか。

 ドラマの内容ないようは?

 漫画家まんがかのやなせたかしさんと妻つまの小松暢こまつのぶさんをモデルに、困難こんなんを乗のり越こえて夢ゆめを追おう姿すがたを描えがく物語ものがたりです。気きが弱よわくて自信じしんのないやなせさんを励はげまし続つづけたのが、「ハチキンおのぶ」と呼よばれた暢のぶさんでした。情熱的じょうねつてきで勝かち気きな女性じょせいのことを高知こうちの方言ほうげん・土佐弁とさべんで「はちきん」といいますが、その通とおりの人ひとでした。

 暢のぶさんは、高知新聞社こうちしんぶんしゃが戦後せんご初はじめて採用さいようした女性記者じょせいきしゃの一人ひとりでした。一方いっぽうやなせさんは、高知新聞社こうちしんぶんしゃが創刊そうかんした雑誌ざっしの編集部へんしゅうぶで働はたらき、二人ふたりは出会であいました。自身じしんとは正反対せいはんたいな性格せいかくに、たちまち魅了みりょうされたそうです。

 暢のぶさんがモデルの朝田あさだのぶ役やくを今田美桜いまだみおさんが、やなせさんがモデルの柳井嵩やないたかし役やくを北村匠海きたむらたくみさんが演えんじています。

NHK連続テレビ小説「あんぱん」でヒロインを務める今田美桜さん(左)と北村匠海さん

 どんな人生じんせいだったの

 新聞記者しんぶんきしゃだった父ちちは特派員とくはいんとして中国ちゅうごく・上海シャンハイに赴任ふにんし、やなせさんは両親りょうしんの出身地しゅっしんちである高知県こうちけん香美郡かみぐん在所村ざいしょむら(現在げんざいの香美市かみし)で幼少期ようしょうきを過すごしました。5歳さいで父ちちを病気びょうきで亡なくし、小学しょうがく2年生ねんせいの時ときに母ははが再婚さいこんすることになり、現在げんざいの南国市なんこくしで内科ないか小児科医院しょうにかいいんを営いとなむ伯父おじの元もとに引ひき取とられました。伯父夫妻おじふさいには子こどもがおらず、弟おとうとがすでに養子ようしになっていました。

 絵えが得意とくいだったので、東京高等工芸学校とうきょうこうとうこうげいがっこう(現在げんざいの千葉大学ちばだいがく工学部こうがくぶ)に進学しんがくしました。その後ご、製薬会社せいやくがいしゃに入社にゅうしゃして宣伝部せんでんぶで働はたらきますが、21歳さいで兵隊へいたいとして九州きゅうしゅう・小倉こくらの部隊ぶたいに入はいりました。1941年ねんに太平洋戦争たいへいようせんそうが始はじまると、中国ちゅうごくの戦地せんちへ送おくられ、終戦しゅうせんを迎むかえます。帰国後きこくご、高知新聞社こうちしんぶんしゃに入社にゅうしゃし、暢のぶさんと出会であいます。暢のぶさんは「先さきに東京とうきょうへ行いってるから」と新聞社しんぶんしゃを辞やめて上京じょうきょう。追おいかけるように、やなせさんも上京じょうきょうして結婚けっこんしました。

 東京とうきょうでは、三越百貨店みつこしひゃっかてん(現在げんざいの三越伊勢丹みつこしいせたん)に入社にゅうしゃし、宣伝部せんでんぶのグラフィックデザイナーとして活動かつどうしました。今いまも使つかわれる白地しろじに赤あかの三越みつこしの包装紙ほうそうし「華はなひらく」は、画家がかの猪熊弦一郎いのくまげんいちろうさんがデザインし、やなせさんが文字もじを書かき込こみました。

NHKの番組「まんが学校」にレギュラー出演していたころ=1964年ごろ

 いろいろな分野ぶんやで活躍かつやく

 漫画家まんがかだけでなく、絵本作家えほんさっか、詩人しじん、編集者へんしゅうしゃ、デザイナーと幅広はばひろく活動かつどうしました。三越みつこしを退社たいしゃし、ステージ関連かんれんの脚本きゃくほんや舞台装置ぶたいそうちなどを担当たんとうしますが、漫画家まんがかとしての道みちは見みいだせずにいました。そんな時とき、作詞さくしを手てがけた歌うたが「手てのひらを太陽たいように」です。自分自身じぶんじしんを励はげますために作つくったそうです。

 1969年ねんに絵本えほん「やさしいライオン」を発表はっぴょうします。さらにこの年としは、アンパンマンと題だいされた大人向おとなむけ短編童話たんぺんどうわも発表はっぴょうしました。

 そして73年ねんに、フレーベル館かんの月刊絵本げっかんえほん「キンダーおはなしえほん」に「あんぱんまん」を発表はっぴょうしました。この「あんぱんまん」で、顔かおがあんパンでできた今いまもおなじみの姿すがたが初はじめて登場とうじょうします。当初とうしょ、顔かおを食たべさせるヒーローは大人おとなには人気にんきがありませんでしたが、子こどもたちの心こころをつかみました。88年ねんにはテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送ほうそうが始はじまりました。

 一方いっぽう、73年ねんには雑誌ざっし「詩しとメルヘン」を創刊そうかん。30年間ねんかんにわたり編集長へんしゅうちょうを務つとめました。

やなせさんが編集長を務めた雑誌「詩とメルヘン」

 原点げんてんは戦争体験せんそうたいけん

 アンパンマンは顔かおがあんパンでできていて、おなかがすいて困こまっている人ひとにちぎって食たべさせる正義せいぎの味方みかたです。アンパンマン誕生たんじょうの原点げんてんの一ひとつに、若わかい頃ころの戦争体験せんそうたいけんがあります。

 やなせさんは中国ちゅうごくの戦地せんちで何人なんにんもの仲間なかまが亡なくなり、疲つかれ切きって動うごけなくなった兵士へいしを助たすけることもできず、歩あるき続つづけました。ご飯はんはうすいおかゆだけで飢うえに苦くるしみ、野草やそうやタンポポまで食たべました。20代だいの多おおくを戦争せんそうに奪うばわれ、海軍かいぐんに入はいった弟おとうとの千尋ちひろさんは戦死せんししました。

 やなせさんは94歳さいで亡なくなる4か月前げつまえの2013年ねん6月がつ、毎小まいしょうのインタビューに応おうじ、「本当ほんとうに正義せいぎの味方みかただったら、まず、ひもじい思おもいをしている人ひとを助たすけなきゃいけない。それが正義せいぎの味方みかたなんだ」と話はなしています。

 被災者ひさいしゃを励はげました

 2010年ねんごろ、目めが悪わるくなったことを理由りゆうに引退いんたいを考かんがえますが、11年ねんに東日本大震災ひがしにほんだいしんさいが発生はっせいすると引退いんたいを取とりやめ、支援しえんに取とり組くみました。アンパンマンのポスターを被災地ひさいちに贈おくり続つづけ、岩手県陸前高田市いわてけんりくぜんたかたしの「奇跡きせきの一本松いっぽんまつ」をテーマにした復興ふっこうソングも作詞作曲さくしさっきょくしました。

 やなせさんが作詞さくししたアニメのテーマソング「アンパンマンのマーチ」はラジオ局きょくに多おおくのリクエストが寄よせられ、被災地ひさいちを勇気ゆうきづけました。「なんのために生うまれて なにをして 生いきるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」という歌詞かしは、大人おとなにも生いき方かたを問といかけます。やなせさんは、この部分ぶぶんを「ぼくの人生じんせいのテーマソング」だとしています。

 やなせさんのふるさとの高知県香美市こうちけんかみしには1996年ねん、香美市立かみしりつやなせたかし記念館きねんかんがオープン。「アンパンマンミュージアム」と「詩しとメルヘン絵本館えほんかん」が設もうけられています。

(2025年ねん4月がつ2日にち 毎日小学生新聞まいにちしょうがくせいしんぶんより)

やなせたかし朴ノ木公園(高知県香美市)に建つ「アンパンマンのマーチ」の歌碑。自筆原稿の文字が刻み込まれています

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