「アンパンマン」を生んだ漫画家のやなせたかしさん(1919~2013年)と小松暢さん(1983~93年)の夫妻をモデルにしたNHK連続テレビ小説「あんぱん」の放送が、3月31日に始まりました。やなせたかしさんは、どんな人なのでしょうか。
漫画家のやなせたかしさんと妻の小松暢さんをモデルに、困難を乗り越えて夢を追う姿を描く物語です。気が弱くて自信のないやなせさんを励まし続けたのが、「ハチキンおのぶ」と呼ばれた暢さんでした。情熱的で勝ち気な女性のことを高知の方言・土佐弁で「はちきん」といいますが、その通りの人でした。
暢さんは、高知新聞社が戦後初めて採用した女性記者の一人でした。一方やなせさんは、高知新聞社が創刊した雑誌の編集部で働き、二人は出会いました。自身とは正反対な性格に、たちまち魅了されたそうです。
暢さんがモデルの朝田のぶ役を今田美桜さんが、やなせさんがモデルの柳井嵩役を北村匠海さんが演じています。

NHK連続テレビ小説「あんぱん」でヒロインを務める今田美桜さん(左)と北村匠海さん
新聞記者だった父は特派員として中国・上海に赴任し、やなせさんは両親の出身地である高知県香美郡在所村(現在の香美市)で幼少期を過ごしました。5歳で父を病気で亡くし、小学2年生の時に母が再婚することになり、現在の南国市で内科小児科医院を営む伯父の元に引き取られました。伯父夫妻には子どもがおらず、弟がすでに養子になっていました。
絵が得意だったので、東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)に進学しました。その後、製薬会社に入社して宣伝部で働きますが、21歳で兵隊として九州・小倉の部隊に入りました。1941年に太平洋戦争が始まると、中国の戦地へ送られ、終戦を迎えます。帰国後、高知新聞社に入社し、暢さんと出会います。暢さんは「先に東京へ行ってるから」と新聞社を辞めて上京。追いかけるように、やなせさんも上京して結婚しました。
東京では、三越百貨店(現在の三越伊勢丹)に入社し、宣伝部のグラフィックデザイナーとして活動しました。今も使われる白地に赤の三越の包装紙「華ひらく」は、画家の猪熊弦一郎さんがデザインし、やなせさんが文字を書き込みました。

NHKの番組「まんが学校」にレギュラー出演していたころ=1964年ごろ
漫画家だけでなく、絵本作家、詩人、編集者、デザイナーと幅広く活動しました。三越を退社し、ステージ関連の脚本や舞台装置などを担当しますが、漫画家としての道は見いだせずにいました。そんな時、作詞を手がけた歌が「手のひらを太陽に」です。自分自身を励ますために作ったそうです。
1969年に絵本「やさしいライオン」を発表します。さらにこの年は、アンパンマンと題された大人向け短編童話も発表しました。
そして73年に、フレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」に「あんぱんまん」を発表しました。この「あんぱんまん」で、顔があんパンでできた今もおなじみの姿が初めて登場します。当初、顔を食べさせるヒーローは大人には人気がありませんでしたが、子どもたちの心をつかみました。88年にはテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送が始まりました。
一方、73年には雑誌「詩とメルヘン」を創刊。30年間にわたり編集長を務めました。

やなせさんが編集長を務めた雑誌「詩とメルヘン」
アンパンマンは顔があんパンでできていて、おなかがすいて困っている人にちぎって食べさせる正義の味方です。アンパンマン誕生の原点の一つに、若い頃の戦争体験があります。
やなせさんは中国の戦地で何人もの仲間が亡くなり、疲れ切って動けなくなった兵士を助けることもできず、歩き続けました。ご飯はうすいおかゆだけで飢えに苦しみ、野草やタンポポまで食べました。20代の多くを戦争に奪われ、海軍に入った弟の千尋さんは戦死しました。
やなせさんは94歳で亡くなる4か月前の2013年6月、毎小のインタビューに応じ、「本当に正義の味方だったら、まず、ひもじい思いをしている人を助けなきゃいけない。それが正義の味方なんだ」と話しています。
2010年ごろ、目が悪くなったことを理由に引退を考えますが、11年に東日本大震災が発生すると引退を取りやめ、支援に取り組みました。アンパンマンのポスターを被災地に贈り続け、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」をテーマにした復興ソングも作詞作曲しました。
やなせさんが作詞したアニメのテーマソング「アンパンマンのマーチ」はラジオ局に多くのリクエストが寄せられ、被災地を勇気づけました。「なんのために生まれて なにをして 生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」という歌詞は、大人にも生き方を問いかけます。やなせさんは、この部分を「ぼくの人生のテーマソング」だとしています。
やなせさんのふるさとの高知県香美市には1996年、香美市立やなせたかし記念館がオープン。「アンパンマンミュージアム」と「詩とメルヘン絵本館」が設けられています。
(2025年4月2日 毎日小学生新聞より)

やなせたかし朴ノ木公園(高知県香美市)に建つ「アンパンマンのマーチ」の歌碑。自筆原稿の文字が刻み込まれています
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