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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

埼玉の偉人・諸井恒平【渋沢栄一がわかる】

時代はセメントへ。故郷の開発のために。

 その後も恒平は上武鉄道株式会社(現在の秩父鉄道)の経営の立て直しや、東京毛織物株式会社の創設に関わるなど、実業家としてのキャリアを着々と築いていきます。1913(大正2)年には渋沢栄一らによって設立された武蔵水電株式会社にも参加します。

 この事業の始まりは、恒平の友人でもある東京帝国大学教授の本多静六博士が、発電とセメント事業事業が埼玉県の地方開発の大きな力になること、秩父地方は武甲山の石灰石をはじめ、セメントを作るために良質な資源に恵まれていることを指摘したのがきっかけでした。欧米ではすでにれんがからセメントを使った鉄筋コンクリートに時代が移りつつありました。

秩父セメント株式会社を設立

 恒平は武甲山の石灰石を原料にセメント事業をおこすプランを練っていきます。1922(大正11)年8月3日には、渋沢栄一を秩父に案内し、一緒に工場予定地を視察しています。この時、往復の汽車の中でのわずかな時間も無駄にせず、新聞や本を読む渋沢栄一の姿に感銘を受けたと後に語っています。

 その翌年の1923(大正12)年、念願だった秩父セメント株式会社を設立。尊敬する渋沢栄一の地方開発構想を、郷土・埼玉県で実現させることができました。

秩父セメント株式会社創業当時の秩父第一工場全景(大正時代)写真提供:太平洋セメント

「みんな仲よく道の栄を」

 1937(昭和12)年、秩父セメント株式会社は創立15周年を迎え、75歳になっていた恒平は、秩父セメント、秩父鉄道の社長を退き、会長に就任。70歳を過ぎてからもポケットに『論語』や『菜根譚』(中国の古典)を入れ、時間を見つけては読書をしていたそうです。

 1941(昭和16)年、東京の自宅で死去。「いざさらば ほかに願は何もなし みんな仲よく道の栄を」という辞世の句を残しています。渋沢栄一の理想を受け継いで己を磨き続けた一生でした。

 本記事を収録している「Newsがわかる特別編 渋沢栄一がわかる」(税込み500円)は全国書店で好評発売中。