どう生きる? 人生120年【月刊Newsがわかる3月号】

我思う故に我あり   <この世界のしくみ>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

確実なものって……? ムラセさん

 これは哲学者のデカルトの言葉だ。デカルトが興味をもったのは「絶対に確実なものはあるのか?」という問い。考えたことあるかな?

 デカルトが気づいたのは、自分が何かを考えているあいだは「考えている自分がいる」ことは絶対確実で疑いようがないということだ。本当かな? ちょっとのあいだ、もしかしたら自分はいないかも……と疑り深く考えてみよう。どうかな。そうやって、極端に疑り深く考えたとしても、やっぱり「考えている自分」はいる。デカルトは、このことを「我思う故に我あり」という言葉で表したんだ。

 この結論を出す途中でデカルトは、「もしかしたら間違っているかも」と思えるものは確実なものの候補から外すことにした。ちょっとでも疑問の余地があったら、それを絶対に確実なものじゃないと考えることにしたんだ。こうやって考えると、ほとんどのものが「絶対に確実なもの」の候補から外れることになる。デカルトは「原稿用紙が目の前にある」も「夢を見ているだけかもしれないから確実ではない」と言っている。いまみんなの見ているこの本の存在も確実じゃないってことだ。でも、そもそも、こうやって考えるのは正しいのかな? もっと良い方法はないのかな? 確実なものって他にはないのかな?

「我」って、誰だれ?……ゴードさん

 自分がいることなんて当たり前だと思っていたから、もしかしたら自分はいないのかもしれない……と考えてみると、なんだか変な気分になる。

 デカルトは、そうやって疑って考えているときにも、考えている自分は必ずいると言っている。でも、反対に、考えるのをやめたらどうなってしまうのだろう。何も考えずにぼーっとしたり、夢も見ないで眠りこけたりしているときには、私はいなくなっているかもしれないのかな。考えているときの私と、考えていないときの私は、まったく別物なのかな。それってなんだか気持ちが悪い。

 それに「考えている私がいること」は疑いようがないとしても、私についての他のこと、たとえば「私の名前はゴード」「私は女の子」「私の髪は黒色」などは、思い込みや錯覚で、間違っている可能性もありそう。デカルトみたいに「ずっと夢を見ているだけなのかもしれない」と考えたら、自分自身のことなのに、たしかにわかっていることが何もなくなってしまう。

 それなら、考えているときには確実にいる私って、いったいどんな私のことなんだろう。そんなわけのわからないもの、「私」って言えるのかな。

自分はなくても考えだけある……コーノさん

 このデカルトの考え方って、自分が思うことは全部自分で意図的に発していて、その思いを自分でコントロールできるはずだ、ということだよね。それは本当かな? 

 いま私が考えたこと、たとえば、「昨日のテストは失敗したな」というのは、本当に私が自分で考えたことなのだろうか? そういうことはもう考えたくないと思っても、何かの思いが出てくるのが止まらないことってないかな。それから、何かを思い出すときにも、自然に、自動的に思い出しちゃうときがある。だからときどき、自分の考えって、自分が生み出したんじゃなくて、どこかから勝手にやってきた言葉なんじゃないかなって思うことがあるんだ。

 あなたは夢を見ることがあるよね。あれは、自分で「夢を見よう」と思って見られるものでなくて、夢の方が寝ている間に勝手にやってくるよね。起きているときの自分の考えも同じなんじゃないかな。本当は「考え」のほうがやってきて、自分が思わなくても「考え」だけがひとりでに生まれるんじゃないかと思うんだ。自分で動かそうって思わなくても、心臓とか胃腸とかが勝手に動いているようにね。

 だから私は、デカルトの「自分は考えているあいだだけ存在する」というのは間違いで、自分がなくても考えだけはあるんじゃないかと思う。
「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<5人の哲学者をご紹介>

河野哲也(こうの・てつや)

立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。

土屋陽介(つちや・ようすけ)

開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。

村瀬智之(むらせ・ともゆき)

東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。

神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。

松川絵里(まつかわ・えり)

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。

 

画像をクリックするとAmazonの『この世界のしくみ 子どもの哲学2』のページにジャンプします