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人は死ぬとどうなるの? <子どもの哲学>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

心はどこへゆくのか……コーノさん 

 君は誰かのお葬式に行ったことがあるかな。日本では人が亡くなると「火葬」といって、身体を燃やしてから壺に入れ、お墓にしまっておくことが多いんだ。ほかの地域では「土葬」といって、死体を土に埋めるところもある。すると、死体は何ヶ月かすると分解されて、土になってしまう。だから死ぬと、身体は灰になるか土になるか、どちらにしても自然の一部に戻ってしまう。このことを認めない人はいない。

 でも心はどうだろう。心も身体の働きの一つだから、死んでしまうと身体といっしょに心もなくなると考える人がいる。いや、そうではなくて、身体がなくなっても、心や魂は別の世界で生きつづけていると考える人もいる。心は不死だというんだ。また、人は死んでも、ほかの人の記憶のなかで生き続けると考える人もいる。

 君はどう考えるかな。私は二番目は信じられないんだ。身体がなくなったら、そもそも自分じゃない。そんな魂だけの自分なんて、生きていても仕方ないと思うんだ。

生きている人と死者との出会い……ゴードさん 

 死んでしまったらどうなるのか、亡くなった人とは話ができないから、わからないよね。でも案外、生きている人には亡くなった人とのおつきあいがたくさんある。たとえば、お墓参りをしたり、お花や線香をあげたりするよね。もし、死ぬと完全にいなくなってしまうのなら、誰もそんなことをしないのではないかな。

 私のおじいちゃんは、私が小学三年生のときに突然死んでしまったのだけれど、その後も困ったことがあったときには、おじいちゃんの家やお仏壇の前で、あるいは空を見上げて、よくおじいちゃんに相談をしたよ。一度も応えてはくれなかったけれど、そうやって相談すると、一人では思いつかないようないい考えにたどり着けたんだ。

 お参りをしたり、相談事をしたりするときに出会う死者は、ただの自分の記憶や想像なのかな。私にはそうは思えない。そういうとき、何か自分とはまったく違うものと向き合っていると感じるから。でも、それは生きていた人の身体から抜け出した心や魂というわけでもないと思うんだ。では、なんなのだろう。

人の頭のなかで生きつづける……ツチヤくん 

 ゴードさんの言っている感じはとてもよくわかるけれど、それって死んだ人だけのことなのかな? たとえば、遠くに引っ越しをしてもう会えない友だちに心のなかで相談するときも、それは自分が都合よくつくり出した単なる「想像上の人物」と話をしているだけ、という感じはしないと思う。目の前にいない人のことを思い浮かべるのは、その人が生きているか死んでいるかにかかわらず、その人を自分とは違う考え方や感じ方をする「他者」として頭のなかに呼び出すってことじゃないかな。だから僕たちは、目の前にいない相手とも真剣に相談できるし、その結果として、ゴードさんも言っているように、自分だけでは思いつかないようないい考えにたどり着くことができるんだ。

 コーノくんの言っている「人は死んでもほかの人の記憶のなかで生き続ける」ということは、ほんとうはこういうことを言おうとしていたんだと思う。だとしたら、「人は死ぬとどうなるの?」という問いは、死んだ本人にとっては重大問題だろうけれど、生きている僕たちにとっては、あまり重要ではないのかもしれないね。死んだ人は、僕たちの頭のなかで、生きている人とまったく同じあり方で「生き続けて」いるのだから。

まとめ 死を考えると日常の見え方も変わる……ムラセくん

 人は死ぬとどうなるんだろう? この問いは、むかしから多くの人たちの心をつかんで離さなかった。何しろいま生きている人のなかには、死んだことのある人はいない。死は、誰も体験したことがないんだ!

 ゴードさんとツチヤくんは、だから、「生きている人たちが亡くなった人とどのように関わり合っているのか」について話をしている。生きている人たちから見て、亡くなった人たちはどのように見えるのか、を問題にしているんだ。ゴードさんは、亡くなった人に相談することがあるという例を挙げている。ツチヤくんは、その点では遠くに行ってもう会えない友だちと亡くなった人は似ていると言っているね。

 でも、最初にコーノくんが言っている、身体は自然の一部に戻ってしまう、というのはどうなるんだろう。いくら心のなかで相談するといっても、やっぱり身体や心、魂のようなその人に関わる部分があるかないかは重要な違いじゃないのかな? だって、両方ないのならじっさいは会えないよ。

 たしかに、心のなかにその人はいる。だけど、それはあくまで記憶であり、残念だけれどその人自身じゃないし、本物ではない。そういうのを「生きつづける」と言っていいのかなぁ……? それとも他人というのは、生きているときから僕たちの心のなかにいるだけで、じつは生きていても亡くなっていても、自分から見ればあまり変わりがない――そういうことなのかな。でも、それってすごく変な考えだね! こう考えるとまわりを見る目も変わってきそうだね。

 死について考えていたら、いつもの生活の見え方が変わってくる。これも哲学の面白いところだね。
「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<4人の哲学者をご紹介>

コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)

慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。

ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)

千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。

ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)

千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。

ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。

 

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