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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

土佐・治水の歴史②

水を治める先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 【野中兼山編】

文・緒方英樹(理工図書株式会社顧問、土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ)※山内一豊編はこちら

大いなる改革、並外れた偉業

 「江戸期、兼山以前の土佐は、ひとびとが自然に耕し、自然に漁りする山河であるにすぎなかった。兼山は政治の力でこれを改変した。たとえば大いに農業土木をおこして、新田三千町歩を得た」と司馬遼太郎は、『街道をゆく』27巻「因幡・伯耆のみち、檮原街道」(朝日新聞出版社刊)で、野中兼山のことを高く評価しています。
 兼山(1615~63年)は、江戸時代初期の土佐藩家老です。兼山が施政30年の間にした用水工事は、山田堰、野市堰(物部川)、下津野堰、井口堰など8カ所(吉野川)、弘岡堰、新川堰、鎌田堰、八田堰(仁淀川)、麻生堰(後川)など、物部川流域で7カ所、仁淀川流域で4カ所、吉野川流域で7カ所、四万十川流域で3カ所、松田川流域で1カ所が数えられます。浦戸湾口防波堤など堤防・防波堤が28カ所 、港湾の改修では津呂港(別称・室戸港)、室津港、手結港、浦戸港(現在の高知港)、柏島港など港を深く削り、大船が出入り出来るようにしました 。

 これは、並外れた偉業です。

 土佐の高知に、山内一豊、坂本龍馬、板垣退助など傑物はあまたいますが、政治家としてだけでなく土木家としても傑出した野中兼山がいなかったら、今ある土佐の景色はずいぶん違ったものになっていたのかもしれません。

 兼山は、12歳で土佐藩家老野中玄蕃(のなか げんば)の養子となり、23歳で家老を継ぎ、2代目藩主、山内忠義から藩の改革を命じられます。「大いに改革せよ」。土佐藩主の藩命が若き執政者・兼山に下ったのです。

 米が経済の基本である時代のこと。年貢米徴収が藩の浮沈を左右します。そして、当時の土佐は、荒れ地が広がり、米不足が藩政を圧迫していました。莫大な借財にも追われていたのです。社会的ニーズにどう応えるか。若き家老は、その解を出すためのキーは「水」にありと確信します。地域開発のための治水や新田開発、港づくりなど土木技術が不可欠でした。

水から始めた兼山の土木

 兼山は、まず川から手を入れました。堤防で整え、流れも変えます。運河や疏水を通し、川に堰をつくって、荒野を開拓した新田に水を引きます。水深のある浦戸湾(現在の高知港)をつくり、港を深く堀込み大船の出入りを可能にしたのです。辺境と言われていた土佐が、兼山の非凡な筆で実り豊かなな色を帯びていったのです。

 物部川流域の堰づくりでは、11万5000本の松材と3690坪の石材が使われたといいます。特に、長さ327㍍にもおよぶ山田堰工事には約4万数千本もの松材を使っています。何のための松か。物部川の川床は深い。田畑に水を引くためには水位を上げる必要があったのです。そのため考案したのが「四ツ枠工法(よつわくこうほう)」でした。松でつくった枠に石を詰めた構造物をいくつも置いて堰としました。使った松は約4万本以上とも言われています。

 山田堰はその後、1982(昭和57)年に役目を終えて上流に新しい堰が設けられました。取水口の一部が復元された「山田堰記念公園」は、県指定史跡として親しまれています。山田堰の歴史やしくみ、その配水のようすを体感できます。兼山の業績はいまも県民の暮らしをささえ、あるいは、多くの遺構が史跡となっているのです。

 物部川からの土砂を防ぐ防砂堤を設けた手結(てい)港は、兼山の考案した日本最古の堀込み式港で、海岸に石垣を築いた岸壁が内陸に掘り込んだ形からそう呼ばれます。案内看板に「南を半島によって囲まれ港口を西に向けて夏の暴浪を防ぐことができる土佐藩屈指の良港」とあります。防砂と防波を考えた土木技術です。この港は、1991(平成3)年、兼山が造った当時の原型に戻す修復工事が行われました。

 ところが、ここまでやってのけた兼山の才を幕府は怖れたか。あるいは出過ぎた杭(くい)として内部から弾劾されたのか。兼山に謀反(むほん)の疑いありと指弾され、山内家から罷免されます。クーデターか、陰謀か。突然の失脚でした。兼山は、幽閉地で3カ月後に48歳で亡くなりました。

 兼山死した後も、不幸は野中家遺族にも及びました。一家取り潰し、領地没収、子女8人幽閉、長女・長男は病死、次男は狂死、娘3人と母は、「門外一歩」も許されず40年間、男系の血が途絶えるまでを生きぬきました。遺族の女子が幽閉から開放されたのは40年後。その中の四女は小説「婉という名の女」(大原富枝)のモデルになっています。※写真は帰全山公園の野中兼山象=高知県本山町本山の同公園で。

 ソーシャルアクションラボでは本記事をはじめ水害に関わる色々なコラムを掲載中。また、土木についてもっと知りたい人は月刊「土木技術」もオススメです。