神田外語キャリアカレッジ は、神田外語大学や神田外語学院を母体とする神田外語グループの一事業体として、語学を起点にグローバル社会における課題の解決やプロジェクトを推進できる人材の育成に取り組んでいます。
今回はそんな当校の代表、仲栄司のグローバルビジネスでの体験談をお送りいたします。グローバル環境の中で仕事を進める上でのヒントや異文化についての気づきなど体験談を交えながら繰り広げられる世界には、失敗談あり、ハラハラ感あり、納得感あり。ぜひお気軽にお読みください。
インドのページャー(※1)ビジネスは、生産、販売、プロモーションの体制等を整備してスタートしましたが、順調に推移したとはいえませんでした。何よりも初期ロットの5万台が商品の感度問題等によりスムーズに掃けず、次々と手を打つ必要がありました。
※1 日本ではポケットベルと呼ばれ、電波で小型受信機に情報(文字など)を送る機器。当時は「インドでページャーのサービスが始まる」と大々的に報じられていました。
当時の私は、シンガポールとマレーシアの現地法人を管轄していましたが、シンガポール会社の傘下には、インド、ベトナム、フィリピン、インドネシアといった国(市場)がありました。私の工数の半分はインドに費やしていましたが、シンガポール、マレーシアをはじめ他の市場への拡販にも携わり、さらに現地法人の経営面でのサポートも行っていました。だから、月1回の出張は当たり前、多い時には月3回ということもありました。アジアは時差があまりないので、楽といえば楽でしたが、家族には申し訳なかったと思っています。
アジア事業部の担当、主任、課長はほとんどそんな調子で働いていました。部自体は事業部長がおおらかで女性陣も明るく、楽しい部でした。だから、日本にいるときは、ここぞとばかりに飲み会が入りました。年齢的には二十代、三十代が多かったです。私自身、35歳の若輩課長でしたから、今思えば若い部だったと思います。夜行便で帰国したときは、早朝、ジムのフロアに行き、シャワーを浴びてから勤務につきました。
帰国したある日、女性陣から「どうせまたすぐに出張に出て行くんだから、今日は恵比寿のガーデンプレイスに行きますよ」と誘われました。「スーツケースがあるんだけど」という言い訳はききません。結局、スーツケースをガラガラ引いてガーデンプレイスに乗り込みました。日本にいるときはだいたいそんな調子でした。これは港だなと思いました。普段は漁師のようにアジアに漁に出ていますが、たまに港に帰ってくるという生活です。港では女性陣が温かく迎えてくれます。アジア事業部は私にとってほっとする港のような存在でした。
一方、シンガポールも別の意味で港的存在でした。当時、インドに出張するときはたいていシンガポールと対でした。インドの売り込みそのものは東京から直で私がやっていましたが、売上はシンガポールの現地法人を通して立てていました。だから、シンガポール会社にはインドの市場、ビジネス状況を適宜報告する必要があったのです。もちろん、シンガポール会社は私の担当でしたので、インド以外でもたくさん仕事がありました。
シンガポールからインドに入るときは、何ともいえない気分になりました。インドのビジネスが順調に進まないので、どうすればいいか、ボートキー(※2)のお店に行き、一人でビールを飲みながらよく悩みました。インドのビジネスは私が全面的にやっているので、シンガポール会社の人に相談もできず、孤独でした。当時のボートキーはシンガポールの古きよき倉庫街を活かした場所でしたが、すぐそばに高層ビルが迫っていて、古きと新しきが混在するユニークな景観でした。これからインドに出発するぞ、とボートキーでいつも小さな覚悟を醸成していました。ボートキーは私にとって別の意味で港的な存在だったように思います。
※2シンガポールの市街中心部で、シンガポール川沿いのふ頭を中心とする商業地区。
今思えば、シンガポールとインドという経済的にも人口的にも国土的にも好対照な市場を担当できたことは私のビジネスマンとしての気分のみならず、詩的気分をも大いに搔き立ててくれたように思います。あまりにも違う国同士。昨日までシンガポールの感覚でいたのが、今日からはインドの感覚に切り替えないといけないのです。つまり、日常が続かないのです。
日常が続かないとき、港の存在は重要だと思います。当時のアジア事業部は、担当者がほとんど出張に出払っていたので、日本に残っているのは女性陣がほとんどです。いわば女性陣が部を支えていたといっても過言ではありません。今でも当時のアジア事業部の女性陣は結束が強く、飲み会も定期的に開いています。私がのちにシンガポールに出向したとき(2015~2018年)には、4人の女性陣がこぞってシンガポールに来てくれました。
海外出張の多い生活は一種の放浪気分を生み出すようです。そして、放浪感覚は人を詩的にします。港と感じたのはそんな気分からだろうと思います。私はアジア事業部という港に大いに助けられました。ことにインドビジネスから孤独を強く感じていましたので、港の存在は大きかったのです。
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著者情報:仲 栄司
大学でドイツ語を学び、1982年、NECに入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国にのぼる。NEC退職後、 国立研究開発法人NEDOを経て、2021年4月より神田キャリアカレッジに。「共にいる時間を大切に、お互いを尊重し、みんなで新たな価値を創造していく」、神田外語キャリアカレッジをそんなチームにしたいと思っています。俳句と歴史が好きで、句集、俳句評論の著書あり。