誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
心に年齢は関係ない……ムラセくん
違いはないと、僕は思う。大人は頭が良いとか、大人は働いたりできるといった、そういう違いは思いつくし、大人のほうが知識をたくさんもっている気がする。いろいろな学校で勉強してきたこともあるだろうし、経験から得た知識もある。ただこれは、大人と子どもの違いではなく、しっかり勉強をしてきたか、しっかり経験から知識を受けとったかの違いだ。
勉強も経験も、ただ時間をかけてたくさんやればいいというものじゃない。だって、同じ時間をかけてやったとしても、そこから得られるものは人によって差があるからだ。
大人でも心のなかは、悪い意味で子どものままの人が意外に多い。そういう人たちは勉強も経験もしたつもりになっていただけで、ほんとうはそこから何も学んでいないんだ。学校に行ったり、いろいろな経験をしていても、そこからしっかりと知識を得ていないということだ。
逆に子どものなかにも、すでに勉強や経験から多くのことを学んでいる子がいるはずだ。勉強や経験が単に多くのことを暗記するだけだとしたら、大人のほうが多くのことを知っているはずだけれど、大切な知識は、ただ暗記すればいいってものじゃないんだ。
だから、君も大人に遠慮しなくていい。人生を語るのだって、いつからはじめてもいい。大人の階段を上がった先に君がどんな人になっているかは、これから君が得る知識にかかっているんだ。
社会が子どもらしさを求めている……コーノくん
ムラセくんが言うように、大人と子どもとでそんなに違わない部分もあるけれど、かなり違う部分もある。人間関係に関することは、大人になるとずいぶん変わってくる。
子どもは、友だちからあまりに影響されやすいと思う。大人になってみると友だちに縛られずにつきあうことができるけれど、子どもは大人に比べて仲間はずれにされることをすごく恐ろしがる。いじめは暴力であり、先生や親や警察にすぐに訴えればいいのだけれど、黙っていることも多いよね。自分に暴力をふるう人間を敵と思っていない子だっている。そして、学校が世界のすべてのように思っているけれど、学校はじっさいはたいした場所じゃない。それから、いろいろな人に心理的に頼っている。一人で行動して、一人で生きていく覚悟ができていない。でも、それは子どものせいというよりは、いまの社会が君たちに子どものままでいることを求めているからなんだ。
あるテレビ番組で、十三歳なのにもかかわらず大人と同じようにアザラシ猟をして家族を養っている、アラスカに暮らすエスキモーの少年の生活を紹介していた。その子の目つきも表情も、冷静で、厳しくて、甘えがなく、優しくて、大人だったよ。でも日本では、十三歳の子には、そんなふうに一人前に生活するのではなくて、学校で勉強を教えてもらったり友だちと遊んだりすることを望んでいるんだ。君たちに子どものままでいてほしいんだ。
大人の心にはゆとりがある……ツチヤくん
コーノくんの意見に賛成。とりわけ、子どもは「学校が世界のすべてのように思っている」という考えは、ほんとうにその通りだと思う。いまの日本の社会では、子ども(特に小学生くらいのころまで)が生活する場所は、学校と家庭がほぼすべてを占めるようにできている。そしてそのことが、子どもの心のあり方に大きな影響を与えていると思うんだ。
子どもの居場所は、基本的には学校と家庭の二つしかない。すると、学校や家庭で自分がどのように評価されるかは、子どもにとってはすごく重大な意味をもってしまう。さらに、この二つの居場所での人間関係は、失敗したら取り返しがつかない。だって、もし学校で仲間はずれにされてしまったら、子どもにとっては人生の半分の時間を一人ぼっちで過ごさなければならなくなるもの。だから多くの子どもは、家族や友だちや先生からどういうふうに思われているかが常に心配で、いつもまわりの目を気にしながら生きている。これは、とても余裕のない生き方だ。コーノくんなら「一人で生きていく覚悟ができていない」と言うのかもしれないけれど、いまの社会では、子どもが自分にとって居心地のいい居場所を勝手に見つけて、自分の好きなように居場所を変えていくことは難しいので、どうしようもないんだ。
もちろん、大人も毎日会社に通っている。でも、大人は嫌なことがあれば、いつでも会社を辞められるし、仕事以外の場(たとえば趣味の集まりなど)で人間関係を築くこともできる。このように、自分の居場所を固定せずにいくつもつくっていくことで、大人は心に大きなゆとりを得ているんだ。子どもは自由だって言うけれど、僕はやっぱり、大人に比べて子どものほうが心の自由やゆとりは少ないと思うな。
まとめ 子どもはもっと自由になれる……ゴードさん
大人と子どもでは、身体の大きさや見た目がものすごく違う。でも、心のなかはどうかな。私は子どものころ、自分は一人前の大人のようにものごとを考えていると思っていた。でも大人になってみると、子どものころとは自分の心のなかがずいぶん違っているような気もする。
ムラセくんは、大人と子どもの心に違いはないと考えているよ。それよりもむしろ重要な違いは、勉強や経験からどれだけ多くの知識を学んだかということなんだ。大人になっても、経験からほとんど学ばなかった人は幼いままで、まだ子どもでもきちんと学んでいる人は心が成熟していると言っているね。この「知識」というのは、ただ暗記するようなものではないそうだけれど、それなら、どんなふうに学んで身につけることができるんだろうね。
コーノくんとツチヤくんは反対に、子どもの心は、大人の心とずいぶん違うと考えている。特に、学校が世界のすべてであるかのように思いがちで、学校の友だちや先生との人間関係から強く影響を受けてしまう、という特徴があると言っているよ。大人は、そこまでまわりの人たちに影響されたりはしないんだね。
では、なぜそんな特徴があるのかというと、二人とも、日本の社会のあり方がその原因だと考えている。コーノくんは、日本の社会は子どもに、一人前にならないよう望んでいると言っているし、ツチヤくんは、日本の子どもにとっての世界は、じっさいにほとんど家と学校しかないのだから、そこでの人間関係に影響されるのは当然だと考えている。子どもにとっては、いますぐ自分で社会のあり方を変えることは難しいけれど、もっと自由に考えられるようになるために、何かできることはあるのかな。
★「疑問氷解」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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