小さいころ、織田家と今川家の人質として過ごした苦労人の徳川家康。「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」(注1)の句が表すように、機が熟すまでしんぼう強く待つ性格でした。家康が天下を手にして1603年に江戸幕府を開くことができたのは、織田信長や豊臣秀吉より長生きしたことが大きかったといえます。
粗食を心がけ タカ狩りに精を出す
家康は数多くの健康法を実行する「健康オタク」で、平均寿命が30歳程度だった時代に73歳まで生きました。秘けつの一つが麦飯と焼みそという粗食。豊富な栄養素をバランスよく含む麦飯は、うまみを引き出すためにおのずと口の中でよくかむようになります。脳の活性化や食べ過ぎ防止に効果的でした。
また、運動不足とストレスの解消のためタカ狩りにも精を出し、薬草を熱心に研究しました。孫の家光(後の第三代将軍)が3歳の時に医者もさじを投げるほどの大病をわずらいましたが、自ら調合した薬で治してしまいました。
側室(注2)も美人かどうかや血筋に関係なく、家政を助けて元気な子を産めそうな女性を選んでいたといいます。黄色のふんどしを愛用し、その理由が黄色であれば多少のシミがついても目立たずに長く着用できるからというからびっくりです。
注1:江戸時代の随筆「甲子(かっし)夜話」で、家康の人柄を表現する句として紹介されている。
注2:正夫人以外に妻の役目で仕える女性 。
(「ニュースがわかる」2015年1月号の「レキッパ!!」より)