フランスでのパリ・オリンピック(五輪)が終わり、28日からはパラリンピックが始まります。今回も前回の東京大会と同じ22競技が実施され、開会式はパリ中心部のコンコルド広場で行われます。五輪と似ているようで、違うところもあります。そんなパラリンピックの世界をのぞいてみましょう。【まとめ・田村彰子】
◇いつからあるの?
最初は「国際ストーク・マンデビル大会」と呼ばれていました。ストーク・マンデビルというのはイギリスにある病院の名前です。
この病院のグットマン医師が提唱して1948年、ロンドン五輪の開会式の日に、病院内で16人の車いすの障害者によるアーチェリー大会が開催されました。これが、パラリンピックの原点です。
大会は毎年開かれ、イギリス以外の国からも選手が参加する国際大会になり、競技も増えました。そして、60年には初めて五輪開催地のローマ(イタリア)で、国際ストーク・マンデビル大会は、この60年ローマ大会が第1回のパラリンピックとされています。
◇名前の由来は?
最初に「パラリンピック」という言葉が使われたのは、1964年にあった東京大会でした。そのころは、腰や背中を通る神経の束、脊髄が傷ついて歩けなくなったり、脚の感覚がなくなったりする下半身まひの英語「パラプレジア」と「オリンピック」を組み合わせたものでした。その後、85年に国際オリンピック委員会(IOC)と話し合い、「パラリンピック」という名前を正式に使ってよくなりました。この時に「パラ」の意味は、ギリシャ語の「沿う」や「並んで進む」となり、「もう一つのオリンピック」と理解されるようになりました。
「五輪マーク」に当たるパラリンピックのマーク「スリーアギトス」は、2004年アテネ大会(ギリシャ)から使われています。「アギト」とは、古いヨーロッパの言葉のラテン語で「私は動く」という意味です。大変なことがあってもあきらめず、挑戦し続けるパラリンピック選手を表しています。赤、青、緑の3色は、世界の国旗で最も多く使われている色ということで選ばれました。
◇どんな障害の人が出ているの?
最初は脊髄を傷めた人しか出られませんでした。その後、1976年には、目に障害がある人と、手や脚を切断してしまった人が、80年には脳の障害で体にまひがある人も出場できるようになります。
知能に障害のある人は、96年アトランタ大会(アメリカ)から参加できるようになりました。しかし2000年シドニー大会(オーストラリア)で、障害がないのに、あるふりをして出た選手がいたため、知的障害者の出場は一時認められなくなりました。12年ロンドン大会から、競技によっては再び出られるようになっています。「パラ」の意味が変わったのは、車いすの障害者だけの「五輪」ではなくなったのも理由です。
◇障害のある選手を支える人たちがいるの?
例えば、視覚障害者の陸上なら、選手と同じロープを持ちながら、一緒に走ってコースを教える「ガイドランナー」がいます。ガイドランナーが遅いと選手が遅くなってしまいます。日本一を決める駅伝大会に出るような実力を持つ選手が、ガイドランナーになることもあります。また、走り幅跳びには、声などで助走の合図や跳ぶ方向を選手に伝える「コーラー」という人がいます。この時、観客は静かにするのが観戦マナーです。
スイム、バイク、ランの3種目で競われるトライアスロンでは、トランジション(次の種目への切り替え)にかかる時間も合計タイムに含まれます。そのため「ハンドラー」と呼ばれる人たちが、ウエアの脱ぎ着やバイクへの乗り換えなどをサポートしています。
しっかりと支える人や観客がいれば、目が見えなくても走れるし、跳べるのです。
◇どういう競技があるの?
オリンピックと同じように陸上や競泳があります。パリ五輪も含め、アーチェリーや卓球で五輪とパラリンピックの「二刀流」で出場する選手もいます。
ただ、パラリンピックには、障害の重さや種類が似たような選手同士で戦い、競技が公平になるよう細かい「クラス分け」があります。いくつもの「クラス」に分かれて金メダルを争います。
パラリンピック特有の競技もあります。視覚障害者が鈴の入ったボールでゴールを奪い合う「ゴールボール」、脳性まひなどの選手が、冬季五輪のカーリングのように、自分の球を目標へ相手より近く、多く集められるかで得点を競う「ボッチャ」などです。
(2024年08月21日毎日小学生新聞より)