奈良時代の僧。仏教を広めるかたわら、貧しい人々を救い、各地に橋や道路をつくるなど社会発展につくした。晩年には聖武天皇から大仏づくりをまかされ、日本で初めて、僧の最高位、大僧正(だいそうじょう)の位を受けた。668~749年。
外に出て救民活動にはげんだ
行基が活躍した8世紀前半は、災害、ききん、はやり病が多く、加えて重い税と労働が人々を苦しめていました。ところが、僧は寺の中にこもり、国の政治の安定を祈るばかり。
そんな中、行基は率先して寺の外に出て仏教を広めるかたわら、貧しい人たちのために食べものや泊まるところを提供する「布施屋」を設けたり、橋や道路をつくったりしました。
そのころの政府は僧が勝手に教えを広めることをきらい、社会事業に取り組む行基を厳しく取り締まりました。しかし、くじけることなく救済活動を続け、人々にしたわれました。
そんな行基の影響力を朝廷も無視できなくなりました。ついには、仏にすがって社会を安定させたいと願う聖武天皇から「大仏づくりの責任者になってほしい」と頼まれました。大仏づくりは多大な資金と労働力を要するに難事業です。
行基は全国を回って寄付をつのり、とうとう完成を見ることなく、81歳で亡くなりました。東大寺に大仏ができたのはそれから3年後で、魂を込める開眼供養が盛大に行われました。
奈良では今も「行基さん」と親しまれ、近鉄奈良駅前の行基広場には、東大寺大仏殿の方角を向いている銅像が立っています。
(「ニュースがわかる」2023年5月号の「レキッパ!!」より)