3日から新しいお札が発行されました。1万円札、5000円札、1000円札の3種類が生まれ変わりました。新札の発行は2004年以来、20年ぶりです。新札の秘密に知りたいんジャーが迫ります。【篠口純子】
◇なぜ変えるの?
大きな理由は、にせ札を作るのを防ぐためです。私たちは人の顔を見分けることに慣れているため、お札の肖像がほんの少しでもずれたりぼやけたりしていると違和感が生じます。このため、偽造防止につながります。
2023年に見つかったにせ札は計681枚でした。にせ札の発見枚数は1999年から急増し、ピークだった2004年は計2万5858枚も見つかりました。パソコン、スキャナー、プリンターなどの性能がよくなり、精度の高いにせ札を作りやすくなったためです。同じお札を使い続けていると研究されてしまうため、国は約20年ごとにデザインを切り替えてきました。今回も肖像の変更とともに、偽造防止のための最先端の技術が盛り込まれています。
◇何が変わるの?
お札の「顔」である肖像が変わります。1万円札は生涯に約500もの企業の設立に関わった渋沢栄一、5000円札は日本で最初の女子留学生の一人で女子教育に力を尽くした津田梅子、1000円札は破傷風という病気の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎になります。それぞれ産業や教育、医療の分野で日本の近代化に力を尽くした人物です。
お札の肖像は、偽造防止のため、なるべく精密な写真が手に入ること、国民に広く業績が知られている人物などの基準で選ばれます。財務省と発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局が候補を出し、最終的に財務大臣が決定します。かつては政治家が選ばれたこともありますが、1984年以降、「明治時代以降に芸術や学問の分野で活躍した文化人」という基準が受け継がれています。
◇どんな技術が使われてるの?
新たに採用されたのは「3Dホログラム」と「高精細すき入れ」です。見る角度によって肖像の立体画像の向きが変わって見える3Dホログラムを、世界で初めてお札に取り入れました。
光にかざすと模様が浮かび上がる「すかし」は、人物に加え、背景にも新たに、とても細かく入っています。この高精細すき入れも、世界で初めてお札に使われたそうです。
だれもが使いやすいユニバーサルデザインも取り入れています。目の不自由な人が指でさわってわかるように識別マーク(11本の斜線)を入れ、金額(額面)をアラビア数字で大きく記しています。
一方、以下の技術は引き続き使われています。①傾けると文字が浮かび上がる潜像模様②傾けると左右両端の部分にピンク色の光沢が見えるパールインキ③カラーコピー機では再現困難なほど小さなマイクロ文字④インキを高く盛り上げザラザラした手触りがある深凹版印刷⑤棒状のすかしが現れるすき入れバーパターン⑥紫外線を当てると表面の印章や模様が光る特殊発光インキ――などです。
◇これまでお札に描かれた人は?
新たな3人を含め計20人です。最初に肖像が入ったお札は、1881年に発行された政府紙幣1円札でした。古事記や日本書紀に登場する神話上の神功皇后が描かれました。神話上の英雄とされる日本武尊や、天皇家を支えた藤原鎌足、菅原道真らも採用されました。しかし、第二次世界大戦後、日本の民主化を進める連合国軍総司令部(GHQ)は、天皇家ゆかりの人物を使うことを禁じました。
戦後初めて発行されたお札の肖像は、江戸時代にききんや災害などで困っている農村を立て直した二宮尊徳でした。図柄も民主主義や平和の象徴である国会議事堂やハトなどが採用され、皇室を表す菊花紋章は次第に消えました。最も多いのは聖徳太子で、1930年から86年まで、7種類のお札で使われました。GHQが使用を禁止しようとしましたが、当時の一万田尚登日銀総裁が「『和をもって貴しとなす』と述べ、平和主義者の代表」と主張し存続がみとめられたとされています。
◇お札はいつからあるの?
日本で最も古いお札は、1610年ごろに今の三重県伊勢市で作られた「山田羽書」です。全国から伊勢神宮を訪れる参拝者らの案内役を務めていた「御師」や伊勢商人のグループが発行しました。1875年まで約250年間、地域の通貨として使われました。
68年に明治政府が誕生し、日本で初めて全国で使えるお札「太政官札」を発行しました。73年に民間の国立銀行ができると、国からお札を発行する権利を与えられ、「国立銀行紙幣」を発行します。この時はアメリカに製造を依頼しました。77年に国産第1号となる「国立銀行紙幣」が発行されました。
その後、中央銀行として82年に日本銀行が創設され、お札を発行する権限も日本銀行に集中されることになりました。85年に最初の日本銀行券として10円札が発行され、それ以来、日本銀行がお札を発行しています。(2024年07月03日毎日小学生新聞より)