平和の番人 国連の80年【月刊ニュースがわかる4月号】

世界を変えた科学者 レイチェル・カーソン【ニュース知りたいんジャー】

レイチェル・カーソンという人を知っていますか? 1960年代、環境問題に警鐘を鳴らしたアメリカの海洋生物学者であり、作家です。近年SDGsの観点からも再び注目を浴びている人物で、今年は亡くなってから60年にあたります。レイチェル・カーソンの著作を数多く翻訳し、彼女の業績を日本に紹介してきたレイチェル・カーソン日本協会の会長、上遠恵子さんに話を聞きました。【木谷朋子】


 ◇どんな人?


 レイチェル・カーソン(1907~1964年)は、農場を営む両親のもとで育ち、幼いときから家畜や小動物、鳥や昆虫が身近な存在でした。また、読書好きで、子ども向け雑誌に投稿した文章が何度も入選するなど、文章を書くことが好きな文学少女でした。10代の頃の夢は、作家になることでした。
 彼女は作家の夢をかなえるため、ペンシルベニア女子大学(今のチャタム大学)に進学し、最初は英文学を学んでいました。けれども生物学を教えるメアリー・スコット・スキンカー先生と出会ったことで先生の生き方に感銘を受け、女性科学者になる道を選びます。


 ◇作家になったきっかけは?


 大学卒業後、ジョンズ・ホプキンズ大学の大学院に進学しました。ところが入学してまもなく、世界恐慌で両親の農場を処分することになり、1934年、生活のために大学院の博士課程を退学します。
 退学後、アメリカ連邦漁業局の公務員として就職します。海を題材にしたラジオ番組の台本や、自然保護地域を紹介する政府広報物を製作していました。その原稿の芸術性に驚いた上司から、有名な文芸誌「アトランティック・マンスリー」への投稿を勧められ、集めた資料をもとに「海のなか」(37年)を書きます。
 その後、第二次世界対戦後の51年に出版した「われらをめぐる海」がベストセラーになります。海の作家としての才能がみとめられ、文筆業に専念できるようになりました。
 「潮風の下で」(41年)、「われらをめぐる海」(51年)、「海辺」(55年)は、現在も海の3部作として読み継がれています。


 ◇「沈黙の春」ってどんな本?

 1962年に、雑誌「ニューヨーカー」に掲載された、農薬として使う化学物質の危険性を訴えたレイチェル・カーソンの代表作の一つです。「殺虫剤のような化学物質を、深く考えもせず無制限に使い続けていると、やがて春が来ても、鳥もさえずらず、ミツバチの羽音も聞こえない黙りこくった春を迎えるかもしれない」と警告しました。
 当時のアメリカ大統領ケネディも、とても興味を持ちます。大統領諮問機関に、農薬(合成化学薬品)の危険性について調べるよう命じて、調査が始まりました。レイチェルは議会に呼ばれ、議員たちもそれが事実であることを知りました。
 この「沈黙の春」をきっかけに、アメリカでは環境保護を求める声が高まりました。世界を変えた本として、現在まで広く読まれています。日本でも64年に「生と死の妙薬」として出版され、その後、文庫化されたときに「沈黙の春」と書名が変わりました。


 ◇子どもたちに伝えたかったことは?


 レイチェル・カーソンは、1964年4月14日に56歳で亡くなりました。亡くなった後に単行本として出版されたのが「センス・オブ・ワンダー」(65年)です。子どもたちに、自然の大切さや、自然の神秘・不思議さへの目を開かせようと書いた作品です。
 翻訳した上遠さんは「センス・オブ・ワンダー」を、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と訳しました。
 本の中でレイチェル・カーソンは「子どもが生まれつきもっている新鮮で豊かな好奇心を、いつまでも新鮮に保ち続けるためには、一緒に感動をわかちあう大人がそばにいる必要があります」と言っています。
 上遠さんは「『センス・オブ・ワンダー』の感性は、自然に関して感じるだけでなく、社会のあらゆることにアンテナをはって感じることだと考えています。社会のさまざまなできごとに関心をもってほしい」と話します。


 ◇世界に与えた影響は?


 レイチェル・カーソンは1964年に亡くなったため、自分の書いたことが世界に与えた影響を知ることは、ほとんどありませんでした。けれども「沈黙の春」の影響で、アメリカでは70年に環境保護庁が作られ、環境保護運動が始まりました。日本でも翌年、環境庁(今の環境省)が作られました。
 70年に始まったアースデー(地球環境)を守るために行動する日、地球の日)や、環境問題に関する初の政府間会合として72年にスウェーデンで開かれた国連人間環境会議のきっかけにもなりました。
 彼女が「地球は人間だけのものではありません。たくさんの生き物がともに暮らす惑星なのです」と、世界中の人々に教えてくれたおかげです。
 一方、「センス・オブ・ワンダー」に書かれた「私は、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、〈知る〉ことは〈感じる〉ことの半分も重要ではないと固く信じています」というメッセージは、現在も子どもたちへの環境教育において、重要な言葉として語り継がれています。(2024年05月15日毎日小学生新聞より)