第二次世界大戦末期の1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。9日には長崎にも投下されました。一瞬で多くの命を奪い、75年以上たった今も放射線による被害に苦しんでいる人たちがいます。日本は世界で唯一の戦争被爆国です。知りたいんジャーと、原爆のおそろしさや核問題について考えていきましょう。【篠口純子】
◇原子爆弾って?
1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍がウランを使った原子爆弾「リトルボーイ」を広島に投下しました。12月末までに約14万人が亡くなったといわれています。その3日後、9日午前11時2分にプルトニウムを使った原子爆弾「ファットマン」が長崎に投下され、12月までに7万3884人が亡くなりました。 原爆は、ウランやプルトニウムの原子核が分裂する「核分裂」で生まれるエネルギーを使います。ものすごい高温の熱線、すさまじい爆風、大量の放射線が発生しました。熱線で爆心地の地面の温度は3000~4000度に達し、爆風で人々は吹き飛ばされ、壊れた建物の下敷きになりました。大量の放射線がふりそそぎ、爆心地から1㌔㍍以内で直接放射線を受けた人は、ほとんど亡くなりました。投下直後、救援や救護活動をしたり、家族を捜したりするため爆心地付近に行って放射線を受けた人もいました。
◇黒い雨って何?
原爆の投下直後、広島で「黒い雨」が降りました。「黒い雨」には放射性物質が含まれ、爆心地から離れていても、雨にぬれたり、雨で汚染された水を飲んだりした人の中に放射線による障害が表れました。国は激しく降った地域に限り、特定の病気を発病すれば被爆者と認めました。昨年7月、広島高等裁判所は「大雨地域」以外で「黒い雨」にあった人も被爆者と認める判決を出し、国は被爆者健康手帳の交付を始めました。 一方、長崎県では国が指定した被爆地域の外で原爆にあった人は被爆者と認められず、「被爆体験者」と呼ばれています。国は、「黒い雨」が降ったという証拠や客観的資料がないことなどを理由に挙げています。長崎県は今年7月、「実際に『黒い雨』が降った」などと結論づけた専門家会議の報告書を国に提出し、被爆者と認めるよう求めています。
◇被爆の体験をどう伝えていくの?
被爆者の高齢化が進んでいます。被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は2022年3月末時点で11万8935人、平均年齢は84・53歳です。 広島市は、高齢化する被爆者に代わって話をする「被爆体験伝承者」を12年から養成しています。2年間研修を受け、平和記念資料館(原爆資料館)などで修学旅行生や観光客に講話します。今年から、新たに家族の被爆体験を受け継ぎ、それを伝える「家族伝承者」の養成も始めました。長崎市は、被爆者の家族や交流のある人たちが証言を受け継いでいく「家族・交流証言者)」を募っています。14年から始め、16年からは家族らに限らず、幅広く参加者を求めています。
◇核兵器はまだあるの?
第二次世界大戦後、核兵器の開発競争が激しくなり、アメリカに続き、ソ連、イギリス、フランス、中国と、核兵器を持つ国が次々と増えていきました。アメリカとソ連が対立する冷戦時代には、核兵器をより多く持つことで相手よりも優位に立とうと、互いにたくさんの核兵器を造りました。 長崎大学核兵器廃絶研究センターによると、ミサイルなどに載せる核弾頭は、冷戦末期の1987年に世界で7万発近くありました。今も6月現在で1万2720発あると推定しています。内訳はロシア5975発、アメリカ5425発が多く、中国350発、フランス290発、イギリス225発と、5か国で大部分を占めますが、残る455発を、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮が保有しているといいます。
◇核兵器をなくす方法はないの?
1970年に核拡散防止条約(NPT)が発効(効力を持つこと)しました。その時すでに核兵器を持っていたアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5か国以外に核兵器を広げないことなどを目的としています。2021年5月現在で191か国・地域が条約を結んでいます。核兵器を手放して参加した国もありますが、核軍縮などは進んでいません。 21年1月、核兵器の保有や使用を全面)禁止する核兵器禁止条約が新たに発効しました。66の国・地域が参加していますが、核保有国の5か国とインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮は不参加です。アメリカの「核の傘」で守られている日本や韓国、ドイツなども参加していません。6月には初めて会議があり、条約に入っていないドイツなど30以上の国が議決権のないオブザーバーとして出席しました。日本は、唯一の戦争被爆国として核廃絶への「橋渡し役」を目指すと政府は説明しますが、オブザーバーとしても参加せず会議で発言できませんでした。