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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

遺伝から「方法論」へ 和田秀樹の「受験の壁」①

『80歳の壁』など健康本のベストセラーを出し続けている医師の和田秀樹氏。和田氏は私立灘中高(兵庫)、東大医学部という入試の最難関を突破し、受験に関する著書も多数ある受験アドバイザーでもある。「和田式」と呼ばれる勉強法や人生100年に役立つ学び直し術などをシリーズで紹介する。(「サンデー毎日」23年2月12日号より)

ーー灘中5番で入学し落ちこぼれに。その後、東大理Ⅲに現役合格できた理由

◆遺伝から「方法論」へ

 いきなり自慢するようだが、私の親族は基本的に東京大学に入っている。私は東大理科Ⅲ類に現役合格、弟は文科Ⅰ類に現役合格。私の長女は、東大の法科大学院を出て弁護士。下の娘は理科Ⅱ類に入学。弟の子供も文科Ⅰ類から法学部を卒業している。

 こういう話をすると、やはり受験の成功は遺伝なんですねと思われがちだし、実は私もそれに悩んだ時期があった。私の親族と書いたが、私や弟の代からの話であって、親の代からの話ではない。父親は関西の中堅私大の夜間部卒で、母親は高校卒だ。父の兄弟も母の兄弟も国立大学卒はいない。

 私自身は、子供の頃から勉強ができて、灘中学に5番で入った。

 ところが、中1の終わりに成績が170人中120番まで落ちた。周りを見渡してみると、入った時から成績が上がったのは、みんな親が東大卒、京都大学卒、そして医学部卒の人たちだった。逆に成績が落ちたのは、私のように親が高学歴でなかったり、商店主の子供だった。中学受験は遺伝ではないが、大学受験はやはり遺伝なのだと子供心に思ったものだ。すると、さらに勉強にやる気がなくなり、成績は低迷を続けた。ところが、高校2年生の春にある転機が訪れた。

 とある映画を観て、それまでなりたい職業がない(これも勉強のやる気がわかない理由だった)状況から映画監督という夢を持つようになった。ところが、その年に、最後まで助監督試験を続けていた日活がそれをやめたので、東大の文学部(灘校という学校は恐ろしい学校で、当時の私の成績でも入る望みはあった)から映画監督という道が断たれてしまった。

 当時、自主映画のブームもあって、自分でお金を作って映画を作るという道があることを知り、俄然(がぜん)、そのお金が作れそうな医学部受験を目指すことになった。後に詳しいことを書くが、それを契機に勉強法を変えたり、いろいろな工夫を重ねることで劣等生を脱却して、東大の理科Ⅲ類に合格することができた。

 その時に、気が付いたのは、親が受験の成功者であるときに、子供も受験の成功者になるのは、遺伝ではなくて「技術の伝承」なのだ、と。そして、私が遺伝と勘違いしたことの謎も解けた。灘という学校が受験に強いのは、中学の勉強を1年で終わらせ、高校の勉強を4年かけてやり、最後の1年を志望校対策に専念できるからだ。

 親が受験の成功者であれば、中学1年生の子供にみっちり勉強させて、その恩恵に与(あずか)ろうとするだろう。ところがうちのように大学受験の成功者でない親の場合、子供が中学受験で苦労している姿をみれば、中学生の間くらい遊ばせてやろうと思うようだ。

 結果的に親が受験の成功者組の子は中1の終わりには成績が上がり、そうでない場合は、中学受験の反動で遊ぶので成績が下がる。たった、これだけのことで私は傷ついたわけだ。(緑鐵受験指導ゼミナール代表)

 ◇わだ・ひでき
 1960年、大阪府生まれ。東京大医学部卒。精神科医。高齢者専門の精神科医として30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁』(幻冬舎新書)、『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』(マガジンハウス新書)などが続々とベストセラーに。最新刊は『90代になっても輝いている人がやっている トシヨリ手引き』(毎日新聞出版)。

(「サンデー毎日」23年2月12日号より)

話してくれた人

和田秀樹(わだ・ひでき)

1960年、大阪府生まれ。東京大医学部卒。精神科医。高齢者専門の精神科医として30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁』(幻冬舎新書)、『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』(マガジンハウス新書)など近著が続々とベストセラーに。

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