悲しみを背負っている人の話の中に可能性がある
――「自分は何のために勉強しているのか」。愉太郎がゴミ集めをしている公園のおばさんに尋ねようとする場面があります。
【井手】 今、大人の成功体験と子どもの現実がずれてきています。右肩上がりの経済成長時代は、いい大学、いい会社に入れば一生涯安心だと思い込んでいられた。
僕らの学生時代、金融業界では「30歳で1000万円」と言われていた。しかし今、「30歳でいくらもらうの?」と学生に聞くと、「700万円ぐらいかな、600万円ぐらいかな」と言うわけです。
みんな、高い山に登ろうと一生懸命競争するんだけれど、残念ながら日本経済がずぶすぶ地盤沈下していて、山自体が低くなってきているから、てっぺんにきたはずなのに風景が変わらない。そこで、子どもたちは愕然とするんです。
今までこんなに頑張ってきたのにこの程度か、と。でも、頑張ってきたプライドはもっているから、自分の下とか低いとみなしている人に対してものすごく冷淡なんです。
答えのない時代、結局、上を見て幸せになるのではなく、下を踏み潰して幸せを感じる社会になり始めている。そうなると、誰も幸せになれない。誰かを踏み台にしないと幸せになれない社会はおかしな社会です。大人たちも苦しんでいる。
そのとき、自分の周りにいる大人たちの成功体験だけを聞いていても役に立たない。
答えのない時代からこそ、失敗した人とか、悲しみを背負っている人とか、そういう人の話を聞いたほうが新しい可能性に触れることができるのではないだろうか。そんな願いですよね。
いろいろな価値観、多くの可能性に触れていないと、選択肢があまりにも狭くなって、幸せをつかみとれないような気がするんです。【#3へ続く】
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