世界の人たちと生きる これからの日本【月刊ニュースがわかる11月号】

宇宙の端(はじ)はどうなっている? <この世界のしくみ>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

情報 地球まで届かない……ゴードさん

 最初は小さく生まれた宇宙が、どんどん広がっていまの大きな宇宙になって、さらに広がり続けていると言われている。この話が本当なら、宇宙が生まれたときには「端」があったのだから、広がった後のいまの宇宙にも端がありそうに思える。

 でも、その端がどうなっているか、人間が知るのはとても難しい。なぜかというと、宇宙の端の情報は、地球まで届かないからだ。たとえば、光の速さで進むと地球から三万年かかる距離に星があるとしたら、いま地球に届いているその星の光は、三万年前のものだ。いまこの時点でその星がどうなっているのかは、あと三万年たたないとわからないことになる(もしかしたら、その星はもうなくなっているかもしれないね)。

 宇宙がどんどん広がっているのなら、宇宙の「端」の情報はいつまでたってもなかなか地球に届かないし、そんなに遠くまで出かけていくのも無理だ。だったら、宇宙の端のことは、いつまでたってもわからないんじゃないかな。

外側のない内側……ツチヤさん

 宇宙の端を想像してほしい。そう言われると、あなたはたぶん、とてつもなく巨大な風船のようなものの中に、太陽や地球や月が入っている様子を思い浮かべるんじゃないかな。で、その風船の内側の壁が宇宙の端ってわけだ。でも、宇宙の端をこんなふうに想像するならば、その壁の「外側」にも(こちら側からは見えないだけで)何かがあるような気がしてしまう。しかし、それはおかしい。だって、それが宇宙の「端」であるならば、その外側には何もないはずなんだから。

 つまり、宇宙の端を「きちんと」想像するためには、僕たちは「外側のない内側」をちゃんと想像できなければならないんだけど、そんな想像は僕たちには決してできないってことだ。なぜなら、僕たちは、何かの内側にいることを想像しようとすると、どうしてもその端に全体を取り巻く壁のようなものを思い浮かべざるをえず、すると自動的に、その壁の外側にも何かがあるように想像せざるをえないからだ。

 これはとても不思議なことだ。なぜ僕たちは、「外側のない内側」を想像できないようにできているんだろう? もしかするとそれは、僕たち人間の根本的な欠陥の一つなのかもしれない。

そもそも端ってなんだろう?……ムラセさん

 「宇宙の端」はとても不思議だ。前の二人の話を合わせるなら、絶対知ることができないし、想像すらできないなんて!

 でも、そもそも宇宙に「端」はあるのかな? たしかに、いろんなものには「端」があるけど、端がないものってないのかな? 「端」は、いつでもあるのかな?

 「端」がありそうな、一枚の四角い紙を考えてみよう。その紙に「端」はいくつある?「たくさん」って言いたくなる。四つの角も端だし、辺もすべて端だ。じゃあ、紙の真ん中は端かな? 「端じゃない」気がする。真ん中だし。さて、組み立てたダンボール箱か、直方体の発泡スチロールの箱の面の一つに、その紙を貼りつけよう。このとき、さっきの紙の真ん中は「端」かな? 箱の面はどれも箱の端って感じがするなら、紙の真ん中も「箱の端の一つ」ってことになる。だとすると、それまでは端じゃなかった真ん中が、貼りつけただけで端になるってことになる。「いや、でも真ん中なんだし、箱の面にくっつけただけでは端ってことにはならないよ」という人もいるかもしれないね。

 じゃあ、貼りつけたのが地球儀だったら、どうだろう? 真ん中は端になったかな? もし端になったのだとすれば、その地球儀のどの部分も端だってことになる。逆に、端にならないのだとすると、地球の表面のどれも端ではないってことになる。これって、本物の地球にも同じことが言える。つまり、もし地球に端があるのだとすれば、地表のどこも実は「端」で、僕たちはいつでも地球の端っこに立っているってことになる。逆に、地球に端がないとすると、端がないものがあって、宇宙もおんなじかもしれない。

 なんだか「もし……だったら、……ってなる」が多くて混乱してしまうけど、「端」にはたくさんの謎が隠されているのはわかった。宇宙の端だけじゃなくて、地球の端や、ダンボールの端、紙の端、色々な端に謎が隠されている。端がいくつあるのか?っている謎もあったね。

 そもそも「端」ってなんだろうね? 本当は「端」なんてなかったりして!


「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<5人の哲学者をご紹介>

河野哲也(こうの・てつや)

立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。

土屋陽介(つちや・ようすけ)

開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。

村瀬智之(むらせ・ともゆき)

東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。

神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。

松川絵里(まつかわ・えり)

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。

 

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