誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
ずっと続けたら……コーノさん
すごく面白い質問だね。10進法って知っているかな。0から始まって、1、2、3と進んで、9までいくと、10になって、1と0を使って二桁に桁があがる。そう、学校で習って、世界中どこでも使っている数字の使い方だね。この数字の使い方だと、1+1は2だと答える決まりになっている。でも実は、0と1しか使わない2進法という数字の使い方もあって、それだと、1+1=10と計算するのが決まりだ。
さて、話を10進法に戻そう。1+1だと2とすぐに答えられるけど、これを1+1+1+1+1……とずっと続けるとどうなるだろう。ずっと、ずーっと、人間の寿命じゃ数え切れないほど、どんなに高性能で最高に頑丈なコンピューターでも壊れてしまうほど、ずっと「1+1」って続けるんだ。そうなると、どうなるだろう。「絶対に、コレコレだ」って正解があるかな。
ある人たちは「どんなに計算が長くなっても一つの正解が絶対にある。人類の寿命が尽きて数えられる人が誰もいなくなっても、超高性能のコンピューターが動かなくなっても、それは計算する人や物がいなくなっただけで、その計算の正解そのものはある」と言う。だって、一つの答えになるのが決まりだから、絶対に一つの答えがあると言うんだ。でも別の人たちは「その計算をできる人や物がなくなれば、正解はない」と考える。どんな計算でも、誰かが、あるいは何かの計算機がやっている。人間でも、コンピューターでも、頭のすごくいい宇宙人でも、必ず寿命があるし、計算能力にも限界がある。だから計算にも限界があって、もし神様がいないのなら(神様には限界がないからね)、「1+1+1+1……」ってずっと続けるその足し算には、正解はないと言うんだ。正解がわからないのではなくて、「ない」んだ。
あなたはどっちが正しいと思う? 私は後者が正しいと思う。
クッキー+ピーマン……マツカワさん
たとえば、リンゴ1個とミカン1個、足したらいくつ? 算数のテストでは、2個ってことになっている。でも、私の友達はこう言うんだ。「リンゴ1個とミカン1個をいくら足しても、リンゴ1個とミカン1個だよ。だって、リンゴはリンゴ、ミカンはミカンじゃん」って。えっ、そこは果物2個じゃないの。そう言いたくなるけれど、たしかに、クッキー1個とピーマン1個だったら、私も同じように感じるかも。「2個あるから1個あげるよ」って差し出されたのが、クッキーだったらうれしいけど、ピーマンだったらガッカリだもん。
リンゴ1個とミカン1個を見て、おいしそうな果物が2個あると思う人もいれば、好きなものと嫌いなものが一つずつって思う人もいる。それぞれがその人にとってまったく別の意味をもつなら、1+1は2なんてひとくくりにはできない。1+1はどこまでいっても、1+1のままだ。
算数だけは疑えない? ……ツチヤさん
僕が最初に哲学に興味をもったのは、この世界のあらゆることは不確かで、「絶対」なんて言えるものは一つもないんじゃないかと思ったからだ。哲学者の中にはこんなふうに考える人は結構いて、いま現実だと思っているものも実は夢かもしれないとか、僕たちは悪い科学者によって脳みそだけ培養器の中に入れられていて、実は電気刺激で幻覚を見せられているだけかもしれないとか(『マトリックス』っていう映画を知っているかな?)、この世のすべてのことをありとあらゆる仕方で疑っていた。哲学に出会ったばかりの頃、僕はそういう本を夢中になって読んだんだ!
でも、ある本にこう書いてあった。たしかに、いま夢を見ているかもしれないと疑うことはできる。しかし、そんな夢の中でさえ、2+3が5であることだけは決して疑うことはできないだろう、と。たしかにそうだ! と当時の僕は思った。だって、2+3が4や7だって言われても、それはもはや何を意味しているのかまったく理解できないから、夢だとしても僕たちはそれがどんな感じの夢なのか想像することすらできないもの(もし「2+3=7」だって想像できると思うなら、その世界で「7-3」がいくつになるかを想像してみて)。
こうして僕は、あらゆることを疑おうとしても算数だけは疑えないんだって気づいて、心底びっくりした。そしてすぐに、なんで算数だけがそんなに特別なのか、とても強く不思議に感じた。その謎は未だに解けていない。みんなはどう思う?
★「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<5人の哲学者をご紹介>
河野哲也(こうの・てつや)
立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。
土屋陽介(つちや・ようすけ)
開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。
村瀬智之(むらせ・ともゆき)
東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。
神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。
松川絵里(まつかわ・えり)
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。
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