「戦後80年企画」80年前の子どもたち【ニュースがわかる8月号】

「わかる」と「わからない」の違いは? <この世界のしくみ>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

「学びの前と後」というわけではない……ゴードさん

 私たちはふだん、「わからない」ことについて、知ったり学んだり考えたりすると「わかる」ようになると思っている。でも、本当はそんなに単純じゃない。

 たとえば勉強をしているとき、授業を聞いてわかったと思ったのに、問題を解こうとすると解けないことがよくある。ときには逆に、いくら勉強してもわからなかったことが、少し時間をあけただけで、たちまちわかってしまうということもある。まったく同じ説明を聞いても、それがわかる人とわからない人がいるし、ぜんぜん違う説明を聞いたのに、同じことがわかるようになるときもある。ということは、「勉強がわかる」ようになるのは、知識や説明を学んだときではないのかもしれない。

 「気持ちがわかる」というのも、とても難しい。気持ちをわかってくれる人は、なんにも説明しなくても最初からわかってくれる。でも、わかってくれない人は、どんなに言葉を尽くしてもわからない。似たような境遇にいてもわかり合えないこともあるし、初めて出会ったのに意気投合することもある。わからなかった気持ちがわかるようになるのは、どんなときなのだろう。

 それに、スポーツでも音楽でも料理でも絵でも、どうすればできるのかと上手な人に相談しても、わからないと言われてしまうことがある。意地悪で教えてくれないわけではなくて、たくさん学んで練習して、とても上手にできるのに、自分がどうやっているのか、「やり方がわからない」んだね。

 それなら、「わかる」っていったいどういうこと?

「わかる」にもいろいろ……ツチヤさん

 ゴードさんが最後の方で言っている「わかる」は、「言葉で説明できる」って意味じゃないかな。ゴードさんが例にあげている人は、実際に「やる」ことはうまくできるんだけど、なぜそれができるのか「言葉で説明する」ことはうまくできないから、「わからない」って言うんだ。……でも待てよ。だとすると勉強の例はどうなる? 問題の解き方を「言葉で説明」できても、実際に「問題を解く」ことができなければ、やっぱり「わかっていない」って言われそうだ。すると、このときの「わかる」の使い方は、さっきとは正反対ってことになる。

 ……むむむ、これは結構やっかいだぞ! 他にも僕たちは、心の底から理解できたときにも「わかる」を使うし、他の人の感覚や意見に共感したときにも「わかる」を使う。これらはそれぞれ、意味や使われ方が微妙に異なるんじゃないだろうか。じゃあ「わからない」のほうはどうだろう?

「やり方」を獲得したかどうか……コーノさん

 「わかる」ってなんとなく、心の中の出来事のように思うけど、本当は、何かができるようになることだと思う。たとえば、ケーキの作り方がわかったというときには、ケーキを何度でも作れるようになったということだ。算数がわかったというのは、同じような問題ならいつでも解けるようになったということだね。

 だから、「わかった」というのは、ある状態を生じさせたり、ある状態に到達できたりするためのやり方を獲得したということだと思う。「わかった!」って声を出したくなるときもあるけど、それは解答に到達するステップというか、やり方というか、手順というか、そういうものがつながって、解答までの道のりがはっきりしたときに感じることだよね。でも、「わかった!」って言った後に、本当はわかっていなかったということもあるよね。

 ただし、あることができるようになることと、そのやり方を口でうまく説明することはまた別のことだね。鉄棒で逆上がりができても、どうやるかを口で説明するのはとても難しいし、人によって体の使い方は違うからなおさら説明が難しいよね。他人の気持ちがわかったというときには、ただ同じ心の状態になったということではなくて、そういう気持ちになる途中の経緯がわかったということではないかな。この人はこう思って、次にこう感じて、だからいまこういう態度をとっているんだ、とかね。だからまとめると、「わかった」って、途中の段階も含めて、あることができるようになったとか、ある状態にたどり着けるようになったということだと思う。
「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<5人の哲学者をご紹介>

河野哲也(こうの・てつや)

立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。

土屋陽介(つちや・ようすけ)

開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。

村瀬智之(むらせ・ともゆき)

東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。

神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。

松川絵里(まつかわ・えり)

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。

 

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