Q 万博の歴史について知りたい。(福岡県糸田町、小6)
第1回は1851年 日本では過去に5回
A 「万博」は「万国博覧会」を略した言葉です。博覧会とは、産業、科学技術、芸術文化の発展のために、見本や製品を展示する会です。複数の国が参加して開催される博覧会が「万国博覧会」です。
万博は「国際博覧会」ともいいます。現在の万博は、国際博覧会条約に基づき、フランスの首都パリに本部を置く博覧会国際事務局(BIE)の承認の下で開かれます(例外として1964、65年のアメリカ・ニューヨーク万博は非公認)。BIEには現在、182の国・地域が加盟し、投票によって開催国が決まります。
近代の博覧会の原形は、1475年にフランスのルイ11世がイギリスのロンドンで開催した「フランス物産展」といわれています。19世紀中ごろまでに、イギリスやフランスでこうした催しがたびたび開かれました。
1851年、世界初の万博となる「第1回ロンドン万国博覧会」が開かれます。全面ガラス張りの建物「クリスタル・パレス」が目玉となり、5か月で600万人以上が訪れました。ロンドン万博の成功を受けて、世界の国々が盛んに万博を開催するようになります。89年のパリ万博では、有名な「エッフェル塔」が建設されました。
その後、主催国や参加者の負担を減らすためのルール作りが進み、1928年に国際博覧会条約ができました。万博が国際博覧会条約にのっとり開催されるよう監督するためのBIEも発足しました。現在の万博には開催ごとにテーマが設定されていますが、33年のシカゴ万博(アメリカ)で初めてテーマ「進歩の一世紀」が掲げられました。
万博は現在、登録博と認定博の2種類があります。登録博は、開催期間が6週間以上6か月以内で、前回の登録博から少なくとも5年以上の期間をおきます。認定博は、開催期間が3週間以上3か月以内で、二つの登録博の中間期間に開催できます。
日本人が初めて万博を目にしたのは江戸時代の幕末、1862年に開かれたロンドン万博です。ヨーロッパに派遣されていた文久遣欧使節団が視察しました。使節団には通訳として福沢諭吉が加わっていました。
67年のパリ万博には、幕府と佐賀・薩摩両藩が出展しました。江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜の弟にあたる昭武(当時14歳)が派遣され、渋沢栄一も同行しました。明治政府として初めて参加したのは、73年のウィーン万博(オーストリア)です。
これまで日本で開催された万博は計5回。1970年の大阪万博は日本初、アジア初の万博でした。アメリカの宇宙船アポロ12号が持ち帰った「月の石」が展示され、話題になりました。入場者数は約6421万人で、2010年の中国・上海万博(7309万人)に抜かれるまで万博史上最多でした。
日本ではその後、1975年に沖縄海洋博(沖縄県)、85年につくば科学万博(茨城県)、90年に花の万博(大阪府)、2005年に愛・地球博(愛知県)が開かれました。【毎日小学生新聞編集部・篠口純子】
(毎日小学生新聞2024年2月12日掲載)

1970年の大阪万博は、アジア初の万博でした=大阪府吹田市で