スクールエコノミストは、私立中高一貫校の【最先進教育】の紹介を目的とした「12歳の学習デザインガイド」。今回は女子学院中学校を紹介します。

聖書と礼拝が隣人愛と深い思索を育み、美術教育が自由な発想を解放する
<注目ポイント>
①人生の大きな礎となるキリスト教教育。
②多様な価値観や思想に触れ、答えのない問いに挑む。
③自己を自由に表現し、他者に感動を与える体験を促す美術教育。
キリスト教教育で自己の確立を促す
キリスト教精神を教育の根幹とし、自らに問う姿勢を持った女性の育成を目指す女子学院。「与えられた賜物を自分のためだけでなく、他者や弱い者に寄り添いながら世のため社会のために活かしていく。そのために自らに問い続け、知見を得るために学ぶ6年間」と鵜﨑創院長が語るように、日々の学校生活にはキリスト教精神が根づいている。
毎朝の「礼拝」や週1時間の「聖書」の授業は、自分と向き合い自己を確立させる大切な時間だ。また、一人ひとりが大切な存在であるという「個の尊重」と同時に、個々が違った存在であることを認める「他者への理解」を深める時間でもある。
例えば、中1の聖書の授業でははじめて新約聖書に触れる。このとき、『隣人を愛しなさい』『あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ』といったイエスの言葉に反発心を抱く生徒もいるという。「友人や家族を愛することは分かるけれど、隣人を愛するとはどういうことなのか?」「私が自分で努力して入学した。私が選んだはずだ」。生徒たちは今までにない価値観を突きつけられ、戸惑い、混乱する。聖書科の石丸教諭は、「こうした葛藤をきっかけに各々が時間をかけて思考を重ね、価値観が覆ることを経験する」と語る。
さらに、中3では旧約聖書を読み進める。旧約聖書には、人類最初の殺人を記した『カインとアベル』をはじめ、綺麗事ではすまされない罪深い人間の姿を捉えた物語も多い。「生徒たちは、聖書を通じて自分が知らなかった多様な人間理解に触れ、それが個々の視野を広げる契機となる」と石丸教諭。
こうした聖書の授業の根幹となっているのが、毎朝行われる礼拝だ。教員が聖書を読み、それをもとに話す。その話は聖書の解釈にとどまらず自分が失敗した、もしくは誰かを赦せなかったなど、生徒の学校生活や体験に近い話も多くある。礼拝は生徒が担当することもある。人間は常に不完全な存在で、大いなる神の前では教員も生徒も分け隔てなく平等だということを、生徒たちは礼拝を通じて理解する」と、石原教諭は語る。
自分にはない価値観を他者が持っていることを知り、その価値観を受け入れ、自己を見つめ直す。こういった体験を日々積み重ねることで、生徒たちは大きく変化していく。
愛、自由とは。正解のない問いを探求
そんな生徒たちの変化と成長がはっきりと形になるのが、高3の聖書の授業だ。西洋思想史を通して歴代の思想家たちの多様な考え方を学ぶ。人の思考に触れる集大成として期末テストの論述課題に向き合う。前期のテーマは「愛について」。生徒たちは、聖書や古代から近代までの思想家の語る愛の理解に触れ、「愛について」自分の言葉で定義していく。
後期は「自由について」。女子学院のなかで経験した自由について、近代の思想家たちと対話しながら、自分の言葉で、自身が経験した自由を論述していく。
まさに、キリスト教を根幹にした女子学院の教育の重要な概念である「愛」と「自由」という、答えのない問いに挑戦することで、深い思索のできる人間が育っていく。
「卒業後は、必ずしも努力が報われるとは限らない、理不尽な世界に身を置くことになる。そうした中で、自分は何者なのかと悩んだときに、聖書の授業や礼拝を思い出してほしい」と、石丸教諭と石原教諭は声を揃える。朝の礼拝に参加するために来校する卒業生も少なくない。
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