誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
正直者と真面目の違い……コーノくん
正直って、うそや偽りがないことだよね。私の経験では、正直者は得をしている。
たとえば、はじめて入ったお店でおつりをごまかされたとしよう。そのときは、お店はお金を多くもらって少し得をする。でも、君は後で気づいて二度とそのお店に行かない。友だちにも「あのお店はずるをする」って教える。みんなその店に行かなくなる。
うそをつく人は、人をだまして最初は得をしても、何度も同じ手ではだませないからどんどん人の信用を失って損をしていく。正直者というのは、一回だけ正直でもダメなんだ。ずっと正直に生きるということは、最終的には本人の得にもなる。これは心理学の実験でも確かめられているよ。
でも、君がほんとうに聞きたいのは「真面目に生きていても、損をするのはなぜ?」ってことじゃないかな。だとすると、それはまったく別の話。真面目と正直はどう違うのかって?
「真面目」というのは、自分の仕事や与えられた役割をただ一生懸命にやっていること。「正直」というのは、他人のためを思ってやることだ。ただ真面目に生きているだけでは、それが誰かのためになっているかどうかはわからない。自分がやっていることがどういう結果を生んでいるかを考えない人は、「ばかをみる」よ。
正直者は損得を考えない……ツチヤくん
コーノくんによれば、ただ真面目に生きているだけの人が「ばかをみる」理由は、その人は自分のやることに一生懸命取り組んでいるけれど、それがどのような意味をもち、どのような結果をもたらすのかを考えていないからだ。逆に言えば「ばかをみない(損をしない)」ために何よりも必要なことは、合理的に「考える」ことである。つまり、状況を冷静に分析して、いま自分が取り組んでいることの意味や結果をじっくり考え、それに基づいて将来を見越して行動すれば、損をすることはない。よく考えることが「ばかをみない」という結果を引き起こすのであって、真面目に一生懸命生きることと、損をしないこととの間にはほんとうはなんの関係もないんだって、コーノくんは言っているんだ。
でも、そういう計算ずくで生きている人は、僕にはあまり「正直者」っぽく見えない。ここでの「正直者」には「善人」という意味も含まれていると思うけれど、ほんとうに善(い)い人というのは、自分の損得なんて何も考えないで、ただただ人のためになることをするからこそ、善い人なんじゃないかな? 真面目なだけで、考えない人はダメだとコーノくんは言うけれど、後先も損得も考えずにただ自分が善いと思っていることにしたがって一生懸命行動する人のことを、むしろ僕たちは善人と呼んでいると思う。
僕は落語が大好きなんだけれど、落語のなかに登場する善人は、だいたいはそういうタイプの人間だ。
ほんとうに損なうものって?……ムラセくん
コーノくんは、善いことをするのは損をしないためであり、じっさいにそうなっていると言っていて、ツチヤくんは、善いことをすることと得をすることはほんとうは別の話なんだと言っている。
僕が不思議なのは、ばかをみるとか損をするってどういうことなんだろう、ということ。
たとえば、誰かを助けていて学校に遅刻し、怒られたとしよう。これって損をしたのかな? 僕はそうは思わない。たしかに、怒られることは嫌なことだ。でも、ほんとうは損をしていないんじゃないかな。むしろ、遅刻や怒られるのが嫌だからといって誰かを見捨てていたら、それこそ人間として大切な部分を損なっている気がする。
正直=善いことをしている限り、いくら損だとか、ばかだとかまわりに言われても、ほんとうは損をしていない。ある意味では、善いことをすると損することができないんだ。だから、「正直者はばかをみる」なんて、ほんとうは起こっていないし、起こりえないと思うんだ。
まとめ ずるさのない世の中にするには……ゴードさん
「正直者はばかをみる」というのは、いつも正しいことをしようと心がけている人は、ずる賢がしこく、人をだまして悪いことをする人よりも、損をしてしまうという意味の言葉だよ。たとえば、学校でそうじの時間にきちんとそうじをする人は、先生が見まわりに来ないときにさぼっている人より、たくさんそうじをしなくちゃいけない。宿題を自分でやる人は、お兄さんに代わりにやってもらった人より、たくさん間違えて、悪い成績がつくかもしれない。こんな意味のことだよね。
コーノくんは、この言葉は間違いだと言っている。なぜかというと、長い目で見れば、結局は正直な人のほうが得をするから。ずるをすると、みんなの信頼を失ってしまうというんだね。でもそれなら、一回だけのずるならば得をするかもしれないし、ばれないずるなら大丈夫かもしれない。そういうずるなら、したほうがいいと思う?
ツチヤくんは、コーノくんの言うことが正しいとしても、「ずるをして得をしたいけれど後でもっと損をするのは嫌だから、仕方がないから真面目にやろう」なんて考えている人は、ほんとうに正直な人とは言えないと言っている。たしかにそんな気がするね。でも、何も考えずに行動する人は、ただのおばかさんだ。それなら、ほんとうに正直な人というのは、どんなことを考えて行動している人なんだろう?
ムラセくんも、「正直者はばかをみる」という言葉は間違いだと言っているけれど、理由が少し違う。𠮟られたり、お金を失ったりすることよりも、自分が善いと思うことをしないことが、一番の損だというんだ。だから、正直に信念を貫く人は、一番の損をすることは絶対にない。なるほど、それはすごいね。でも、あまりに立派だから、自分も正直になれるか考えてみると、自信がなくなってしまう。小さな損が積み重なると、心が折れてしまって、もしかしたらずるをしてしまうかもしれないな。あなたはどう?
最後にもう一つ。「正直者はばかをみる」というのは、「だからどんどんずるをしよう」ということではなくて、「正直な人が損をして、悪い人が得をする世のなかになってはいけない」といましめる言葉としても使われるよ。正直な人が悪い人よりもきちんと得をする世のなかにするには、どうしたらいいと思う?
★「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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