10代のうちに強くする! 骨のチカラ【月刊ニュースがわかる5月号】

豊川・モイセエフ・ニキータ選手インタビュー 甲子園沸かせたアーチ

2024年選抜大会で豊川(愛知)のモイセエフ・ニキータ選手(18)が右翼席に描いたアーチで高校野球ファンを沸かせた。甲子園大会で初めて導入された反発性能を抑えた新基準の「低反発バット」で、第1号本塁打を放ったからだ。ロシア出身の両親を持つ世代屈指の左のスラッガーは、東京ヤクルトスワローズでプロの世界に飛び込む。あの甲子園で放った豪快な一発を振り返った。(取材/構成・黒詰拓也)

 体重大幅アップで増えた本塁打

――選抜大会1回戦、阿南光(徳島)の吉岡はる投手から右翼席に放った2ランは4打席目でした。それまでは3打数無安打、2三振。どんな気持ちで打席に入りましたか。

 2球で追い込まれ、後ろにつなごうという気持ちだけでした。3球目に浮いた変化球が来たので、振り抜きました。きっとフォークの失投だったと思います。打った瞬間に「入れ、切れるな」と願いながら走り、審判が腕を回しているのを見て、うれしさがこみ上げてきました。

――大会本塁打は3本(うち1本はランニング本塁打)と激減しました。結果的にそのうちの1本を放ちました。

 本塁打を打ったことは今となっては「良い思い出」ではありません。本塁打を打った直後の5打席目で、空振り三振を喫しました。この試合では吉岡君から3三振。あれほど切れるフォークは見たことがありませんでした。同じ腕の振り方で真っすぐも速く、緩いカーブもありました。それほど3三振を喫したことと、試合に(4-11で)敗れたことが悔しかったです。それでも低めの変化球を見極め、甘い球を一発で仕留める力の重要性を感じさせてくれました。

モイセエフ・ニキータ 2006年11月29日生まれ。愛知県出身。小学1年の時に兄の影響で野球を始めた。高校通算18本塁打。ドラフト2位でヤクルトから指名を受けた。両親がロシア出身で、自宅ではロシア語と日本語を使い分ける。身長182センチ、体重89キロ。左投げ左打ち

――高校入学時は身長179センチ、体重66キロだった体が、今では182センチ、89キロまで大きくなりました。特に体重が20キロ以上も増えたのには驚かされます。

 1年の春の愛知県大会からベンチ入りできましたが、体の線が細いのが課題でした。当時からプロ野球選手になりたいと思っていたので、長谷川(裕記)監督から1年の冬から2年春までに体重を80キロまで上げるよう言われました。長打力をつけるためです。

――体重を上げるためにどんなことに取り組んだのですか。

 体作りの土台となる食事を見直し、ひたすら食べました。白米を朝は500グラム、夜には1キロほど食べ、昼は丼物とうどん、授業の合間にはバナナなどを食べ、腹がすいた時間を作らないよう意識しました。トレーニングも続け、2年春には目標通り80キロに達しました。春季県大会で公式戦初本塁打を放った時には、卒業後にプロに行きたいという気持ちがさらに強くなりました。

――2年の夏が終わり、新チーム発足から秋季県大会で準優勝し、東海大会では頂点に立ちました。明治神宮大会では4強入りし、チームは順調に勝ち上がりました。その間に放った本塁打は6本で打率も5割超と大当たり。勝負強さも光りました。

 実は秋季県大会の後に注目されたことで、プレッシャーを感じて調子を落としました。打ち方が分からなくなり、バットのトップの位置を変えたり、すり足にしてみたりしましたが、何もかもうまくいきませんでした。「来週には東海大会が始まってしまう」という焦りもあり、この時が高校時代を通して一番苦しい時でした。
 そんな時、長谷川監督から「いろいろ考えず、自分がやってきたことを信じろ」と言われました。シンプルな言葉ですが、救われました。東海大会では「打とう」と思わず、「自分のスイングをする」という意識で対応しました。

――印象に残った場面は。

 特に印象に残っているのが宇治山田商(三重)と当たった準決勝です。2点リードされて迎えた九回でした。1点差に迫った後に打席が回り、内角高めの直球を右前に打って同点としました。後続のサヨナラ打で試合を決めました。この同点打が高校時代で一番印象に残った打席です。

――明治神宮大会準決勝の星稜(石川)戦でも本塁打を放ちました。

 明治神宮大会での一発は、内角の直球がバットの根っこの方に当たりましたが、(右翼席まで)押し込むことができました。神宮球場での本塁打は気持ちよかったです。

――いいイメージで翌年春の選抜大会に挑むことになりました。低反発バットが導入され、どんな対策をしましたか。

 冬場は木製バットを使って緩い球をきちんと芯で捉える練習に力を入れました。

――甲子園はどんな場所でしたか。

 あれだけの大歓声でプレーしたのは初めてで、打席でもブラスバンドの曲が聞こえてきて気持ちが乗りました。もっと試合がしたかったです。甲子園は勝っても負けても自分を成長させてくれる場所だと思います。甲子園だからこそ、得るものがあります。僕の場合は、全国で活躍する投手と対戦したことで自分の課題を見つけられた場所でした。

第96回選抜大会【阿南光―豊川】八回裏豊川1死一塁、右越え2点本塁打を放つ= 2024年3月19日、三浦研吾撮影

 ヤクルトからドラフト2位で指名

――プロ野球のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズからドラフト2位指名を受けました。卒業後には夢だったプロの道に進みます。

 甲子園で感じた悔しさを糧にプロの世界に進みます。自分は「ホームランバッター」ではありません。本塁打も打てる中距離打者だと思っています。(入団する)ヤクルトには山田(哲人)選手や村上(宗隆)選手ら、高卒で活躍している選手が多く、指名された時はうれしかったです。ドラフト2位という順位にも驚きました。着実に力をつけ、山田選手が達成した同一シーズンで打率3割、30本塁打、30盗塁以上を記録する「トリプルスリー」を目指せる選手になりたいです。

力強いスイングを見せる豊川のモイセエフ・ニキータ選手=愛知県豊川市の学校グラウンドで2024年10月18 日、黒詰拓也撮影

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