10代のうちに強くする! 骨のチカラ【月刊ニュースがわかる5月号】

報徳学園・今朝丸裕喜投手インタビュー
2年連続センバツ準V

選抜大会準優勝、ドラフト2位、2番手投手――。報徳学園(兵庫)で最速151キロを誇ったエース右腕・今朝丸けさまる裕喜投手(18)の高校生活を振り返ると「2」が多かった。あと一歩で選抜大会の頂点に届かなかった悔しさ、競い合ったライバルの存在、踏み出すプロへの思いをロングインタビューで聞いた。 (取材/構成・長宗拓弥)

 大阪桐蔭に雪辱し、燃え尽きた春

――プロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受けました。神戸市出身の今朝丸投手にとっては地元球団で甲子園球場が本拠地になります。

 地元から外に出ない人生です(笑い)。さすがにプロでは「県外へ出て行くのかな」と思っていましたが、ずっと兵庫県内で過ごしています。縁がありますね。本当に恵まれていると感じます。(甲子園が本拠地なので)家族や仲間の前でプレーする姿を生で見てもらえます。プロとして甲子園で投げるイメージはできないのですが、一日でも早く1軍で投げることが皆さんへの恩返しになると思っています。

――春夏3度の甲子園大会に出場し、高校日本代表でもエースとして活躍しました。

 高校野球を引退してみると、もう一回やりたい気持ちがわいてきます。この3年間があったからこそ成長できた。悔しくてメンタル的にやられてしまった時もありましたが、今となっては良い思い出しかないですね。

今朝丸裕喜(けさまる・ゆうき) 2006年6月2日生まれ。神戸市出身。小学3年で兄の影響で野球を始め、中学時代は関メディベースボール学院でプレー。最速151キロの直球と落差のあるフォークを軸に世代屈指の投手と評され、選抜大会で2年連続準優勝。ドラフト2位で阪神タイガースに入団。身長188センチ、体重80キロ。右投げ右打ち

――報徳学園に入学した決め手は。

 2018年夏の甲子園で、小園海斗選手(現広島東洋カープ)を擁して8強入りしたチームに憧れました。地元の学校であり、家から通いたかったので決めました。入学前は先輩たちから「報徳は厳しい」と聞いていたので、最初はビビりながらやっていました。覚悟を持って入学しましたが、先輩も指導者もやりやすい環境を作ってくれて、イメージとは違いました。

――近畿大会は味方の援護もあって決勝に進み、大阪桐蔭に惜敗。春の選抜大会で憧れの甲子園球場のマウンドに初めて立ちました。

 選考委員会で出場が発表された時はうれしすぎて、もう声が出なかったですね。3回戦の東邦(愛知)戦で初登板、初先発しました。あんなに観客がいっぱいいる中で投げるのは初めての経験でめっちゃ緊張しました。普通の球場とは違う独特の雰囲気で、1球への観客の反応というか、球場全体の一体感というか……。でも、逆に緊張で変な力が抜けたのか、(七回途中を自責点2で)悪くない内容でした。その後はあれほど、緊張することはもうなかったです。

――23年の選抜大会は接戦を勝ち上がって準優勝を果たしました。今朝丸投手は4試合に登板し、防御率2.03と好内容でした。

 正直に言うと2年春の選抜大会は優勝を意識していませんでした。チームの最大の目標は秋に負けた大阪桐蔭にリベンジすること。準決勝でぶつかり、最大5点差を逆転勝ちしました。自分も最後の2回を無失点で抑えました。素晴らしい相手に大舞台で雪辱し、燃え尽きた感じがしましたね。チームとしては決勝の山梨学院戦で集中することが難しかったです。ただ、個人としては存在をアピールできる大会になったと思います。

――2年夏にはあまり泣かないという今朝丸投手が悔しくて涙したそうですね。

 野球人生のターニングポイントでしたね。兵庫大会5回戦の神戸国際大付戦で同点の四回途中から登板し、決勝点となる勝ち越し点を許しました。何回振り返っても悔しさがこみ上げます。3年生の夏を自分が終わらせてしまった。あんまり泣かないキャラなんですが、あの時はメンタルをやられました。きつかったです。春と夏は全然違う。もう同じ相手には負けないと決めました。日ごろの練習への取り組む姿勢が変わりました。

――新チームになり、秋季兵庫県大会準々決勝で神戸国際大付にリベンジを果たしました。一方、兵庫1位で臨んだ近畿大会は準々決勝で大阪桐蔭に1点差で惜敗しました。

 1回負けた後にすぐにリベンジする機会が巡ってきて次は勝つ。この繰り返しを経験し、成長できました。3年春の選抜大会の準々決勝ではまたも大阪桐蔭と対戦し、(5安打1失点で完投して)納得のいく投球で勝つことができました。

――3年春の選抜大会でも準優勝。成長を実感することができましたか。

 2年春は打者しか見ることができませんでしたが、3年春はグラウンドを広く見て楽に投げることができました。1年前よりも体も少し大きくなって、球速も10キロくらい速くなったと思います。自分たちの世代は優勝だけを目指していて、燃え尽きることもなかった。同じ準優勝でも悔しさは全く違いました。
 この間にたくさんインタビューを受ける機会に恵まれました。しゃべるのは苦手だったのですが、自分の思いを口に出して考えを伝えられるようになったのは成長ですかね。

第96回選抜大会【報徳学園-健大高崎】力投する報徳学園の先発・今朝丸投手=2024年3月31日、三浦研吾撮影

 競い合った最高のライバル

――最後の夏で今朝丸投手は初めてエースナンバーの背番号「1」をつかみ取りました。

 最後は「1番」で終わりたいと思っていました。ドラフト上位でプロ入りしたい気持ちがあったのですが、2桁の背番号ではダメだと。上位での指名を勝ち取るには世代ナンバーワンの投手にならないといけないのに、報徳学園でエースになれないのでは厳しいと思いました。
 チーム内には最高のライバルがいました。エースで一時は主将も担った間木(歩投手)です。間木は安定感があって、常に試合を作ることができる自分にはないものを持っていました。下級生の時から、先発、リリーフと2人でずっと投げてきました。競い合う中で、自分が打たれても間木がいるという安心感がありました。彼がいたからこそ成長できました。

――間木投手との二枚看板で優勝候補の一角として夏の甲子園に出場しましたが、予想外の結末が待っていました。

 甲子園は春と夏とでは別の場所でした。唯一、一緒なのはマウンドの感触くらい……。1回戦でぶつかった大社(島根)は打力がありました。応援もすごくて雰囲気にのまれ、一回に3安打を許して2点を先制されました(7回途中3失点9奪三振の力投も1-3で初戦敗退)。ただ、夏は報徳学園としては6年ぶりで、甲子園出場が目標でした。悔いは残りますが、兵庫を勝ち抜くことができた達成感もありました。

――甲子園大会直後に台湾で開催されたU18(18歳以下)アジア選手権ではエースとして準優勝。憧れの「侍ジャパン」のユニホームに袖を通しました。

 台湾との決勝は力を発揮できず、優勝できなかったのですが、日本中の高校球児が目指す「侍ジャパン」で、高校野球を終える幸せな経験ができました。ただ、決勝前に(高校日本代表にコーチとして帯同した報徳学園監督の)大角(健二)先生からは「もう(選抜大会と同じ)銀メダルはいらんぞ」と言われていました。自分もまた「銀メダルかよ」と思いましたし、大角先生も同じ気持ちだったと思います。

――ドラフト会議では高校ナンバーワン右腕として注目され、阪神タイガースから2位指名を受けました。

 本当にドキドキしました。1位指名の12人が終わった瞬間に「もうないんかな」という不安もありました。1位候補という報道も見聞きしてきたので、単独か外れ1位での期待がありました。名前が呼ばれた時はうれしい気持ちがありましたが、今は1位ではなかったという悔しさを持ってプロに行きたいです。

――選抜大会準優勝やドラフト2位指名と「2」という数字に縁がある高校生活でした。

 高校野球ではもう「2」という数字を「1」にすることはできません。プロの世界では「1位」にこだわってやっていきたいです。まだ、体が細いので、まずは長く活躍するために体作りに励んでいきます。大きな目標は200勝投手ですが、誰からも目標とされるような投手になれるように努力していきたいです。阪神では日本一、そして、侍ジャパンのトップチームでワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一になりたいです。

自身のサインを書いた色紙を手に=梅田麻衣子撮影

『センバツ2025公式ガイドブック』発売中!

センバツ2025
第97回選抜高校野球大会公式ガイドブック(サンデー毎日増刊)

3月18日、阪神甲子園球場にて開幕! 全国から選ばれた32校が、高校野球の頂点を目指し、熱戦を繰り広げる。
特集インタビュー、注目チーム、注目選手紹介や出場32校の選手名鑑のほか、「選考理由」「大会展望」「戦力分析」「大会全記録」など、観戦に役立つ情報満載!
この1冊で「センバツ」の全てがわかる公式ガイドブックです。

【主な内容】
・センバツ行進曲は「幾億光年」/Omoinotakeインタビュー
・この選手に注目
・このチームに注目
・カラー選手名鑑
・出場32校の横顔