日本でラジオ放送が始まったのは、100年前の1925(大正14)年3月22日です。第1声を発したのは次のうち誰でしょうか。
(1)大正天皇
(2)当時の首相、加藤高明
(3)当時の東京放送局初代総裁、後藤新平
ラジオ放送が求められるようになったのは、1923年(大正12)年9月の関東大震災がきっかけです。大震災では新聞社も被災したため、新聞の発行もままならず、正しい情報を人々に迅速に伝えることができませんでした。そのためにさまざまなデマ(うわさ)も流れ、朝鮮人虐殺などの一因になったといわれています。正確な情報を速やかに多くの人に伝える手段が、国家的な課題でした。
そして、震災の2年後、ラジオという新しいメディアが産声を上げたのです。第1声を発したのは、「東京放送局(後の日本放送協会=NHK)」初代総裁だった後藤新平でした。
「あ―、あ―、聞こえますか。JOAK、JOAK こちらは東京放送局であります」
これが第1声です。
後藤は続いて「無電(ラジオ)は文化の機会均等で、この発達は家庭生活の革新であり、教育の社会化でもある」と「鼻眼鏡をギョロつかせながら得意の雄弁をふるった」と翌日の東京日日新聞(現・毎日新聞)が伝えています。
後藤新平は関東大震災後の復興計画を立てたことがよく知られていますが、その他にも、台湾民政長官、南満州鉄道(満鉄)総裁などとしてもそれぞれ業績を上げました。※写真はNHKの時報装置=1938(昭和3)年撮影
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