情熱的に恋愛を賛美して詩歌の新時代を切り開いた女性歌人。与謝野鉄幹と結婚して11人の子を産み育てるかたわら、多くの歌集を刊行。日露戦争で戦う弟に寄せた反戦の詩「君死にたまふことなかれ」は大反響を得た。1878(明治11)~1942(昭和17)年。
若い女性に熱狂的に迎え入れられた
大阪・堺の和菓子屋に生まれた鳳志やう(ほうし・よう、与謝野晶子の結婚前の本名)は10代から短歌をつくり、21歳の時に雑誌「明星」に掲載されたことで転機を迎えました。「明星」を創刊した与謝野鉄幹と恋に落ち、実家を捨てて上京したのです。妻のいる鉄幹との恋愛を情熱的に歌い上げた歌集「みだれ髪」は若い女性たちの熱狂的な支持を集めました。
その後、妻と別れた鉄幹と結婚し「与謝野晶子」となった彼女は生涯で約4万首の歌を詠み、「源氏物語」の現代語訳などを手がけました。
夫に代わって働きまくる
そんな晶子は6男6女の子どもを産み、生後すぐに亡くなった六男を除く11人を成人させなければなりませんでした。夫鉄幹の和歌は時代遅れとみなされるようになり、仕事が減少。大家族の生活は晶子の肩にのしかかり、寝る間も惜しんで新聞や雑誌に原稿を書く日々が続きました。
晶子の疲れ切った心身をいやしたのが温泉でした。中年になると旅から旅に出て全国の名湯や秘湯を訪ねています。温泉でリフレッシュすることで歌心をよみがえらせていたのかもしれません。
(「ニュースがわかる」2020年12月号の「レキッパ!!」より)