楽しみながら続ける 防災アクション10【ニュースがわかる9月号】

戦後80年 硫黄島 太平洋戦争の激戦地【ニュース知りたいんジャー】

戦後せんご80ねん節目ふしめ硫黄島いおうとう東京都小笠原村とうきょうとおがさわらむら)が注目ちゅうもくされています。太平洋戦争末期たいへいようせんそうまっき日本にっぽんとアメリカの両軍りょうぐん激突げきとつし、わせておよそ2まん7000にん戦死せんしした激戦地げきせんちです。新聞しんぶんなどのニュースのほか、映画えいが小説しょうせつでもたびたびげられてきました。近年きんねんは、あまりられてこなかった元島民もととうみん帰島問題きとうもんだい報道ほうどうされています。戦争せんそうわって80ねんもたつのに、なぜ元島民もととうみん故郷こきょうかえれないのでしょうか。

 どんなしまなの?

 東京都心とうきょうとしんからやく1250キロメートルみなみにあるしまです。「いおうじま」ともばれています。1891ねん日本にっぽん領土りょうどとなり、本土ほんどからひとわたって開拓かいたくすすめました。農業のうぎょうさかんで、戦前せんぜん最盛期さいせいきには1000人以上にんいじょうらしていました。元島民もととうみんによれば、もの豊富ほうふで、当時とうじ本土ほんどでもめずらしかった外国製がいこくせい自動車じどうしゃがあったそうです。

 1941ねん12がつ太平洋戦争たいへいようせんそう開戦後かいせんご日本軍にほんぐんはアメリカやイギリスなどの連合国軍れんごうこくぐん次々つぎつぎやぶり、硫黄島いおうとうよりはるかとおくの地域ちいきにまで占領せんりょうひろげていきました。しかし次第しだい戦況せんきょうわるくなり、アメリカぐん硫黄島いおうとうせまってきました。44ねん月以降がついこうは、空襲くうしゅう軍艦ぐんかんからの艦砲射撃かんぽうしゃげきをたびたびけました。

摺鉢山(手前)側から眺めた硫黄島の全景。海上自衛隊の基地があります。一般の人の立ち入りは認められていません=2023年10月30日、毎日新聞社の飛行機「希望」から
 なぜ本土ほんどからとおしま攻撃対象こうげきたいしょうに?

 アメリカぐん日本にっぽん本土ほんどへの上陸じょうりく想定そうていし、そのための中継地点ちゅうけいちてんとしてこのしま必要ひつようでした。太平洋上たいへいようじょうのサイパンなどマリアナ諸島しょとうから大型爆撃機おおがたばくげきき「B29」で本土ほんど攻撃こうげきするうえでも、護衛ごえい戦闘機せんとうき基地きちなどとしてれたかったのです。ぎゃく日本にっぽんとしてはまもらなければならない場所ばしょでした。

 しまひとたちは1944ねんがつ、ほとんどが強制的きょうせいてき本土ほんど避難ひなん疎開そかい)させられました。45ねんがつ19にちにアメリカぐん上陸じょうりくし、日本軍にほんぐんむかちます。この戦闘せんとうは1かげつあまりつづきました。

 日本側にほんがわは、ぐんたすけるためにしまのこされた島民とうみんふくめ、およそ2万人まんにん戦死せんししました。アメリカぐんも6821にんくなりました。疎開そかいした島民とうみんたすかりましたが、れた故郷こきょうはなれての生活せいかついられ、苦労くろうしました。

硫黄島に上陸するアメリカ軍と日本軍の戦いの様子。奥に見えるのは摺鉢山です=硫黄島で1945年2月19日
しまひとたちは戦後せんごはどうなったの?

 島民とうみんたちは、戦争せんそうわってもしまかえることはできませんでした。アメリカぐん基地きちとして占領せんりょうつづけたからです。

 1968ねん硫黄島いおうとうは、ほか小笠原諸島おがさわらしょとうとともに日本にっぽん返還へんかんされました。小笠原諸島おがさわらしょとう父島ちちじまなどには住民じゅうみん帰島きとう可能かのうになりましたが、硫黄島いおうとう帰島きとうゆるされませんでした。

 翌年よくねん元島民もととうみんらは「硫黄島帰島促進協議会いおうとうきとうそくしんきょうぎかい」という団体だんたい結成けっせいし、政府せいふ帰島きとうもとめました。しかし政府せいふは、「火山活動かざんかつどうがある」「産業活動さんぎょうかつどうたない」などの理由りゆうみとめませんでした。

「硫黄島へ帰りたい」とデモ行進する元島民たち=東京都の日比谷公園横の路上で1983年3月17日
現在げんざいはどんな状況じょうきょうなの?

 現在げんざいも、元島民もととうみん帰島きとうしてらすことはおろか、先祖せんぞのお墓参はかまいりや戦没者せんぼつしゃ慰霊いれいのためであっても自由じゆうしまわたることはできません。帰島きとうできるのは東京都とうきょうと主催しゅさいするお墓参はかまいりなどにかぎられ、人数にんずう制限せいげんされています。

 いまは、しまでの土地とち権利けんり所有しょゆうしている元島民もととうみん親族しんぞくがいて、自衛隊じえいたいがそれをげるかたち常駐じょうちゅうしています。基地きち整備せいびなどを建設会社けんせつがいしゃ民間人みんかんじんらしています。ゴルフじょうなどの余暇施設よかしせつもあります。

記者会見で帰島実現を訴える「硫黄島帰島促進協議会」の人たち=東京都の国土交通省で2月19日
ひとめるようくに基盤整備きばんせいび

 元島民もととうみんは「火山活動かざんかつどう戦前せんぜんからあったが、生活せいかつにはなん支障ししょうもなかった」と証言しょうげんしています。戦前せんぜんのように農業のうぎょうなどで生活せいかつたせることが困難こんなんなのも事実じじつですが、それは政府せいふ戦争せんそうでめちゃくちゃになったしま適切てきせつ復興ふっこうさせなかったからです。「かえる・かえらないは元島民もととうみんめる権利けんりがある。かえさないのは居住きょじゅう自由じゆうさだめた日本国憲法にほんこくけんぽう22じょうはんする」という指摘してきもあります。

 わたし記者きしゃ)は今年ことしがつ中野洋昌なかのひろまさ国土交通大臣こくどこうつうだいじん記者会見きしゃかいけんで「帰島きとうきんじる法的根拠ほうてきこんきょなんですか」とたずねました。中野大臣なかのだいじんは「土地等とちとう権利けんり所有しょゆうする旧島民きゅうとうみん方々かたがた帰島きとうされることについて、これをとどめる法的ほうてき手段しゅだんはないとかんがえております」とこたえました。

 つまり、法律上ほうりつじょうかえってもよく、政府せいふが「かえらないでほしい」とおねがいしているだけです。しかし、ひと定住ていじゅうするにはみなとつくったり電気でんき水道すいどうとおしたりして生活基盤せいかつきばんととのえなければなりません。でも、元島民もととうみん自分じぶんたちで整備せいびするには多大ただいなおかね必要ひつようですし、確保かくほできても自由じゆうしまわたれなければ不可能ふかのうです。元々もともと島民とうみん開拓かいたくして整備せいびした生活基盤せいかつきばんが、くにはじめた戦争せんそう破壊はかいされたのですから、あらたな基盤整備きばんせいびくに責任せきにんです。硫黄島いおうとう帰島問題きとうもんだい解決かいけつしなければなりません。

(2025ねんがつ20日はつか毎日小学生新聞まいにちしょうがくせいしんぶんより)

硫黄島に残る朽ち果てた戦車=硫黄島で2024年3月30日

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