世界の人たちと生きる これからの日本【月刊ニュースがわかる11月号】

私は誰のもの? <この世界のしくみ>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。 

私の手、私の日曜日、私の私?……マツカワさん

 私は私のものじゃないかなあ。だって、「私の手」とか「私の髪」とか言うじゃない。それに、私の鉛筆を他の人が勝手に使ってたらおかしいのと同じように、他の人が勝手に私の手を使ったり、私の髪をいじったりしたらおかしいよ。体だけじゃない。時間だってそう。休日の予定を勝手に他の人に決められたりしたら、腹が立っちゃう。私のなんだから、勝手に決めないで!って。

 つまり、私が私のものっていうのは、私は私のことを自由に使ったり決めたりできるけど、他の人は勝手に使ったり決めたりしちゃいけないってことだ。

 けど、おかしいな。私の手や髪も、私の日曜日も、私のほんの一部でしかない。「私の手」とは言えるけど、「私の私」なんて言わないよね。うーん、私は全部まるごと私のものだって言いたいのに、私のものって言えるような私があるのかどうか、自信がなくなってきちゃった。

持ち物なのかな……ツチヤさん

 「私は私のことを自由に使ったり決めたりできる」ってマツカワさんは言うけど、それって本当かな? たとえば、子どもが「整形手術したい」「耳にピアスを開けたい」と言ってきたときに、「あなたの体はあなただけのものじゃない!」って言って反対する親は結構いる。そんなの本人の勝手じゃん!って意見ももちろんアリだけど、自分の体のことでも自分勝手に何でも自由に決めていいわけじゃないって考え方にも一理ある。私の体も私の命も、最初から私の持ち物だったわけじゃなくて、元々は私が両親から授かったものだからだ(さらにさかのぼれば、地球全体から授かったものだとか、神様から授かったものだとかって言うこともできるかもしれない)。そう考えると、「私」は私だけの持ち物とは言いづらくなるから、「私は私のことを私だけで自由に決めてはいけない(たとえば、私は私の体や命を私だけの都合で勝手に粗末に扱ってはいけない)」って言えそうな気もする。

 でも、そもそも「私」って、私や私以外の人の「持ち物」なんだろうか? 「私は誰のもの?」という問いの中には、私が(私を含めた)誰かの「所有物」であるという考え方が含まれていて、この考え方が混乱の根っこにあるような気もする。

家族や友達だちみたい…ゴードさん

 「私」が私の持ち物だというと、たしかに変な感じがする。他の人は違う感じ方をしているかもしれないけれど、私は自分自身のことを、家族や友達みたいに感じるよ。

 たとえば、おなかいっぱいだけどまだおいしそうなものが残っているとき、「もうちょっと食べても大丈夫かな?」って自分と相談する。宿題が面倒だなあと思ったときも、「明日の自分が余計に大変になっちゃう」とか、「昨日までの自分は毎日提出してきたのに、ここでやめちゃうの?」と思って、現在の自分が未来や過去の自分に責任を感じて、頑張ったりもする。どうしていいかわからなくなったとき、「あなたはどうしたいの?」と自分に問いかけると、思いもよらなかった返事が心の中から返ってくることもある。

 つまり「私自身」は、私だけど、どこか私とは別の人のような感じもする。私と私は人間同士の関係だから、持ち物というより、一番の味方のような関係でいたいな。
「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<5人の哲学者をご紹介>

河野哲也(こうの・てつや)

立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。

土屋陽介(つちや・ようすけ)

開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。

村瀬智之(むらせ・ともゆき)

東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。

神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。

松川絵里(まつかわ・えり)

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。

 

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