小泉八雲と怪談ニッポン【月刊ニュースがわかる10月号】

寄付をしなければならない? <この世界のしくみ>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

ものやお金を有効利用……ムラセさん

 寄付とは、持っている人が持っていない人に自分の持ちものやお金をあげることだ。時間と体力を使って何かをする場合もある。いずれにせよ、余ったものをあげる。

 余ったものを、それを必要としている人に届ける。これは当然のことだ。状況によっては、その余りものがないと死んでしまう人だっているんだ。何かがないことで誰かが死んでしまう。これはたいてい不幸なことだし悪いことだ。そして、この悪を防ぐのは良いことだ。しかも、余ったものを寄付することは、ものやお金をより有効に使うことでもある。同じおにぎりでも、満腹の人と空腹の人ではまったく価値が違う。どれだけお金持ちで大食いの人も、一日に百回の食事をとることはできないし、きっと百回食べるご飯はおいしくはないだろう。だったら、他の空腹の人にあげたほうがご飯を有効活用したことになる。つまり、余ったものを持ち続けることは、それだけで無駄遣いになる可能性もあるってことだ。

 もちろん、実際に寄付をするときは、寄付をどう使うかとか、誰に寄付したらよいかは考えないといけない。自分が使ってほしいところに寄付が届くところや、どうやって寄付を使うのかを広く公表している団体を選んだほうが良い。

 でも、シンプルに考えれば、あっちでは必要としていて、こっちではそれが余っている。だったら、渡すことは良いことだし、むしろ当然のことだろう。

強制されずに自由な意思で……ツチヤさん

 ムラセさんの言っていることは、なるほどたしかにもっともだ。余ったものを必要としている人にあげるのは、たしかに「当然のこと」のように思える。しかし、そうすると「だから寄付はしなければならない」という結論になるのかな。このように考えるときに僕が引っかかるのは、寄付が「義務」になってしまうってことだ。

 もし寄付が義務だとすると、豊かなのに寄付をしない人は非難されるし、非難されるべきだ、ということになる。豊かな人は、自分で稼いだお金であっても、それをすべて自分のために使ってはならないし、そんなやつがいたら処罰すべきだということになるかもしれない。すると、本心では寄付をしたくないのに、他人から非難されないようにするためにいやいや寄付をする人も出てくるだろう。しかし、そういう気持ちで行う寄付は、もはや寄付とは言えないんじゃないかな?

 先生に言われていやいや行くボランティアが、もはやボランティアとは言えないのと同じように。

「義務」は「強制」と結びついているけど、寄付は「強制によらない自由な善意」に基づいているからこそ素晴らしいと僕は思う。だから僕は、寄付は義務ではないし、「寄付をしない自由」も尊重されて良いと考える。僕にとって寄付とは、「しないことも許されるのに、それでもなおするからこそ、みんなから褒められてしかるべき行為」だ。

税金も寄付とつながる……コーノさん

 ムラセさんは、寄付とは十分に持っている人が、持っていない人にあげることだと言うけど、寄付ってただ何かを与えるというだけじゃなくて、それがないと困ってしまう人に何かをあげることじゃないかな。そう考えるといろいろなものが寄付に思えてくる。

 親が子どもに食べ物や住む場所を与えるのは、親の義務だよね。でも、これも寄付の一種じゃないのかな。家族で助け合うのは当然とされているけど、これも寄付じゃないのかな。だって、子どもに食べ物や家を与えないと、子どもは困ってしまうでしょう。

 日本では、医療費や教育費や、失業したときの生活費を税金から支払っている。私たちは税金によっていろいろな人にお金や助けを与えている。私もケガで入院したときには、実際にかかった費用よりも安く支払うのですんだ。これは国が治療費を補助してくれたからだ。あなたが小学校に行くのもタダだけど、これも国や地方が授業料を代わりに払ってくれたからじゃないかな。だから、私たちはいつも誰かの助けになるように寄付しているし、私たち自身も寄付を受けているとは言えないかな。

 何が寄付で、何が寄付でないかの違いははっきりしない。私たちは一方的にあげたり、一方的にもらったりして生活している。そうした社会のやり取りの中で、まだお金や物や人手が足りないところに、それらを提供するのが寄付だと思う。

 だから、税金を払うのが義務だとすれば、寄付もそれとはっきりした違いはないので、絶対じゃないかもしれないけど弱い義務じゃないかな。


「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<5人の哲学者をご紹介>

河野哲也(こうの・てつや)

立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。

土屋陽介(つちや・ようすけ)

開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。

村瀬智之(むらせ・ともゆき)

東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。

神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。

松川絵里(まつかわ・えり)

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。

 

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