平和の番人 国連の80年【月刊ニュースがわかる4月号】

年をとるとなぜ頭がぼけるの? <子どもの哲学>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

「わからなくなる」ということ……ムラセくん

 頭がぼけるって、認知症みたいな病気になることかな? でも、年をとっても認知症にならない人もいるよね。逆に若くても認知症になる人がいる。原因のわかるものもあるし、わからないものもある。でも、これではきっと答えにならないよね。

 この問いの一つには、「ぼける」ことへの怖さがあるような気がする。だから僕は、この「ぼけることへの怖さ」の理由を考えてみることにするね。

 僕は、この「怖さ」の根っこには「わからなくなる」ことへの怖さがあると思うんだ。もちろん、単にわからないことならいまでもたくさんあるし、それだけなら怖くはない。でも、いままでわかっていたことがわからなくなってしまうのって怖い。「わかっていたのにわからなくなった」と、「わかる」からだ。これは「なくす」ことに似ている。「なくす」と元から「ない」のとは、違う。元々あったものしかなくせないからね。つまり「わからなくなる」には「わからない」とは違う独特の怖さがあるんだ。

自分を失う怖さがある……コーノくん 

 認知症というのは脳の病気なんだ。でも、ムラセくんが言うように、ただ単に年をとっただけでは、この病気にはならない。いくら年をとっても脳が健康な人は、どうでもいいことは忘れても大切な人や出来事は覚えているし、性格も変わらない。きちんと考えることもできる。

 でも、私の親戚のおじさんで認知症になった人は、むかしはあれだけたくさんいっしょに遊んでくれたのに、私のことを完全に忘れてしまったし、さっき言ったことも覚えていられない。怒りっぽくなって、性格も変わっちゃったみたいだ。同じ身体でも、別の人になってしまったような感じがする。怖いよね。

 でも、ときどきむかしのことを思い出して話すんだ。そのときには、元のその人に戻る感じがする。むかしの頼りがいのあるおじさんに戻ったみたいだった。だから、なんだか病気がその人を徐々に乗っとっていくような感じがした。だんだん自分が自分でなくなっていく感じが、自分を失う感じが、この病気の怖さの理由かな。

忘れることは素晴らしいことかもしれない……ツチヤくん 

 ムラセくんもコーノくんも、頭がぼけることは、怖いことだと思っているみたいだね。

 僕もこの前、認知症のおじさんと久しぶりに会う機会があったんだ。僕が赤ちゃんのころからずっとかわいがって遊んでくれた人だけれど、あいさつをしたら僕のことはやっぱり完全に忘れてしまっているみたいだったよ。でも、もっとショックだったのは、その日はおばさんのお葬式だったのだけれど、おじさんは自分の妻のことなのに誰が亡くなったのかもわからなくなっていて、ご遺体を見て「この人、誰?」と言っていたことだった。この光景を見たときには、さすがになんとも言えない悲しい気持ちになったよ。

 でもそれは、僕がそのように感じただけで、おじさん本人はいたって気楽で楽しそうだった。だとしたら、これは、おじさんにとってほんとうに怖くてつらいことなのかな?

 僕の友だちに「認知症が病気なら、僕たちだって『記憶症』という病気の患者だと言えるんじゃないか」と言う人がいるんだ。なまじ記憶する能力があるから、僕たちは過去にとらわれ、苦しみ、ときに身も心も壊してしまうんじゃないかって。最初に聞いたときは、変な話をする人だなぁと思ったけれど、よくよく考えてみると、人生の最後に記憶から解放され、すべてを忘れて「ぼける」ことは、案外素晴らしいことかもしれないね。

まとめ 記憶についての問いへつながる……ゴードさん 

 「頭がぼける」と言われているのは、認知症という脳の病気なんだね。この病気にかかると、大切な家族や友だちのことも誰だかわからなくなってしまったり、大事な思い出も忘れてしまったりする。性格も変わってしまうことがある。お年寄りに多い病気だけれど、ただ記憶力が弱って忘れっぽくなるのとは、全然違うんだ。

 三人は、この病気のことをどう理解したらいいのか、この病気とどう向き合ったらいいのか考えている。ムラセくんとコーノくんは、認知症には独特の怖さがあると言っているね。ムラセくんは、いままでわかっていたことがわからなくなってしまう怖さ、コーノくんは、自分が自分でなくなっていく感じの怖さがあると考えているよ。

 それに対してツチヤくんは、忘れてしまうことは悪いことばかりではないと言っている。たしかに、覚えているからつらいこと、忘れてしまったほうが楽なことも、人生にはたくさんある。そういうことも忘れてしまうのだから、認知症になるのは、本人にとっては案外幸せなことなのかな。でも、いい思い出も忘れてしまうのだから、やっぱり怖いことかな。

 三人の話をふまえると、認知症という病気を理解するには、「記憶」についてよく考えてみる必要がありそうだね。人生のいろいろな出来事や、出会った人々についての記憶があるということは、私たちの人生にとって、どういう意味があるのだろう。自分の人生のあれこれを覚えていることは、自分を自分だとわかっているということと、どんな関係があるのだろう。大切な誰かを忘れる怖さと、誰かに忘れられる悲しみには、つながりがあるのかな。こうしたたくさんの問いに、認知症についての問いはつながっているんだ。

「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<4人の哲学者をご紹介>

コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)

慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。

ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)

千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。

ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)

千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。

ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。

 

画像をクリックするとAmazonの『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』のページにジャンプします