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人はどうやって言葉を話すようになったの? <子どもの哲学>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

合図の仕方が発展した……コーノくん 

 この問いは、「言葉」というものをどう定義するかによって、回答が異なってくるね。自然の豊かなところへ行ってよく観察するとわかるけれど、いろいろな生き物たちがお互いにいろいろな方法で合図しながら生きている。鳥は鳴き声で仲間を呼んだり、危険を知らせるなど警告したりする。ミツバチは独特な踊りのようなことをして、仲間にエサの場所を教える。アリは匂いで自分の巣とそうでないものとを区別する。

 集団で生きる生き物は、危険やエサのありかを教えたり、異性を求めたり、敵を脅したりするために、なんらかの形で連絡を取り合って生きている。信号をやりとりしているんだ。哺乳類になると行動も複雑になるので、伝える内容も複雑になってくる。

 こうした合図を言葉と呼ぶなら、それは、人類が登場するはるか前からあったと言える。人間の言葉は、その合図の仕方を発展させたものだよ。だから、動物が人間に進化していく過程で、仲間に対する合図として少しずつできていったのが言葉だと思うんだ。

複雑な表現ができるように……ムラセくん 

 たしかに、言葉の基本には合図がありそうだね。プリントが手元にないときに「先生、プリント!」と言ったりすることも合図と言えそうだ。でも、人間の言葉はもう少し複雑で、コーノくんが言うように、合図からはじまって発展したものである気もする。合図に何が足されると、言葉になるんだろう?

 まずは、組み合わせられるということが重要そうだ。「プリント!」だけだと合図っぽいけれど、「プリントと鉛筆をもってきて」や「色鉛筆か赤のボールペンをもってきて」のように組み合わせると、ちょっと発展した感じがして、人間の言葉っぽい。

 ほかにも、状況によって行動を変えるような場合、たとえば「危ないとき右に逃げて、そうでないときは左へ」などは、合図というよりは言葉って感じだ。鳥や昆虫たちはこんなふうに場合を分けて考えたりはしていない。そう考えると言葉って、目の前にあるものだけでなく、じっさいにはないものや状況を表すことができるんだね。「傘、忘れた!」のように、目の前に傘がないということを表すことができる。ほかにも、じっさいは晴れたけれど「雨だったら運動会は中止だった」などと言える。こういう複雑な表現が発明され、合図に足されて、人間の言葉になったんじゃないかな。

言葉と考えはどちらが先?……ゴードさん

 たしかに、人間の言葉はほかの生き物の合図と似ていて、しかももっと複雑な感じがする。合図が組み合わさって、だんだん発展していったという二人の意見は、なるほどと思ったよ。

 それにしても、どうして人間の合図だけが、そんなふうに組み合わされていったんだろう。人間だけが、ほかの生き物より複雑に考えることができたからかな。場合を分けたり、いま起きていないことを考えることができたから、それを表せるように、言葉が発達していったのかな。でも、言葉の組み合わせ方を知らなかったら、そんな複雑なことは、そもそも考えられないような気がする。言葉と考えって、どちらが先に発達したんだろう?

 これって自分が言葉を覚えたときのことを想像してみても、不思議に思うんだ。「車」や「犬」などのものの名前は、ものを先に見て、後から名前を覚えたような感じもする。でも「切ない」や「寂しい」といった、気持ちの名前はどうかな。切ないという言葉を覚える前に、切ない気持ちを、悲しみや寂しさと区別して感じられたと思う? なんだか難しいような気がする。ましてや大むかしは、「切ない」という言葉そのものがなかったんだよね。切ないという言葉がなかったころに、切ない気持ちを感じていた人間なんて、いるのかな?

まとめ 言葉はどうしてあるんだろう……ツチヤくん 

 三人の対話は、コーノくんとムラセくんの考えが直接つながっていて、その二人の考えに、ゴードさんがやや別の角度から分析を付け加えている感じだ。

 コーノくんとムラセくんは「人はどうやって言葉を話すようになったの?」という問いに正面から答えようとしている。コーノくんによれば、人の言葉は、昆虫や動物がお互いに交わし合っている「合図の仕方を発展させたもの」だ。たしかに人間以外の生き物も、自然界を生き延びるために、それぞれ独自のやり方でコミュニケーションをとり合っている。だから「言葉」を「コミュニケーションのための道具」と定義すれば、動物もじつは言葉をもっていて、伝える内容が複雑になるにつれて、次第に人の言葉になっていったということになる。

 これに対してムラセくんは、「動物の合図」と「人の言葉」の違いに注目することで、人の言葉がどうやって生まれたのかを説明しようとしている。ムラセくんによれば、人の言葉はいくつかの信号を「組み合わせる」ことができたり、「じっさいにはないものや状況」を表すことができる。これは動物の合図にはない特徴だ。こういう複雑な表現が発明されたことで「人の言葉」は誕生した、とムラセくんは言っている。けれど、結局それはどうやって発明されたんだろう?

 この問題を考えるためにゴードさんは、「言葉」と「考え」はどちらが先に発達したのかを考えている。人間がほかの生き物ともっとも違う点は「考える」ことができるところだと言う人もいるけれど、そもそも何かを考えるためには、言葉がないとダメな気もする。でも、その言葉が動物の合図を発展させたものだとすると……あれ? ええっと、頭がこんがらがってきたぞ!
「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<4人の哲学者をご紹介>

コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)

慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。

ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)

千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。

ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)

千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。

ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。

 

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