深掘り! 太陽光発電【月刊Newsがわかる9月号】

秘密基地のような長崎県防空本部跡

長崎県防空本部跡(立山防空壕)の入り口。長崎市は「長崎原爆を後世に継承する重要な役割がある」として国の史跡「長崎原爆遺跡」への追加指定を目指している=原爆資料館提供
壕内の各部屋をつなぐ細い通路。秘密基地のような雰囲気=長崎市立山で2月8日

 長崎への原爆投下の第一報を国に伝えたとされる「長崎県防空本部跡」は1945年3月に造られた防空壕で、立山防空壕とも呼ばれています。空襲警報が出されると、県や市、警察の幹部が集まり、警備や救護を指揮。戦争中の防空対策の中心的な役割を担いました。
 爆心地の方向に山があり2.7キロ離れていたため、原爆の被害はほぼ受けませんでした。そのため、ここから原爆の被害情報を国の防空総本部などへ送り、各地に救護・救援の手配をし、県外へ応援を求めたのです。

※飛行機を使って空から爆弾などで敵地を攻めること

防空壕   戦時中に空襲から身を守るために造られた避難するための大きな穴のこと。家の中から入れる床下式、庭に掘った縦穴式、石垣を利用した横穴式のものがある。また、軍の司令部や行政機関の機能を維持するためなどに、深く掘った巨大なトンネル状のものも。
伝令室。解説パネルや、ここから発見された現物資料などを展示=原爆資料館提供
壕内にある長官室(知事室)。8月9日は当時の永野若松知事らが3日前に広島に落とされた原爆の対応策を話し合っていた=4月1日
 学校が病院に  爆心地に近い長崎医科大学付属医院(現長崎大学病院)などが壊滅的な被害を受けたため、約3キロ離れた新興善国民学校(現長崎市立図書館)が臨時の救護所に。1945年8月16日からは新興善特設救護病院として、多くの人たちが治療を受けた。現在、この救護所を市立図書館内の「救護所メモリアル」で再現している。
=新興善国民学校で1945年8月下旬から9月中旬

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