第二次世界大戦末期の1945年8月9日、アメリカ軍が長崎に原子爆弾(原爆)を投下しました。長崎市の上空でさく裂した1発の原爆は、一瞬にして街を根こそぎ破壊し、多くの命を奪いました。市内には、今もあの日のままの姿をとどめている被爆遺構があります。原爆による被害を知って、平和の重みを考えてみませんか。(「Newsがわかる2026年8月号」より)



山王神社の二の鳥居は、原爆の強烈な爆風で爆心地側の柱をもぎ取られ、1本柱になってしまいました。こうしてあの日の姿のまま、爆風のすさまじさを今に伝えています。
爆心地から南東約800メートルに位置する山王神社には、四つの鳥居がありました。一と二の鳥居は爆風に対して平行に立っていたため、一の鳥居はほぼ原形のまま残り(その後、交通事故で倒壊)、二の鳥居は片側が吹き飛ばされたのです。さらに二の鳥居は、南側の笠木※が東に13度回転し、爆心地方向に面した部分は熱線によって表面がはがれています。
※鳥居の上方の横に渡す部分のこと


「山王神社の境内の入り口には、2本の巨大なクスノキがそびえています。被爆クスノキと呼ばれるこの木は、原爆の暴風(秒速220メートル)によって幹には亀裂が入り、枝葉は吹き飛ばされて丸裸に。また、推定2000度もの熱線で焼け焦げて無残な姿となり、あたかも死んでしまったかのようでした。しかし、その後、新芽を出してよみがえり、「70年は草木も生えない」と言われていたこの地に希望を与えたのです。
今なお力強く枝葉を広げるクスノキは、被爆の記憶を伝える「生き証人」として、また平和の象徴となっています。

原爆が投下された当時、長崎市の人口は約24万人でした。原爆によって1945年12月末までに7万3884人が亡くなりました。7万4909人が負傷し、原爆の熱線や爆風、放射線による病気(原爆症)が多くの人々を苦しめ、その不安は今も続いています。また、市内の1万8409戸(全戸数の約36%)が被害を受けました。
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