フィジカルAIがひらく未来【月刊Newsがわかる8月号】

長崎に残る原爆の記憶

 第二次世界大戦末期の1945年8月9日、アメリカ軍が長崎に原子爆弾(原爆)を投下しました。長崎市の上空でさく裂した1発の原爆は、一瞬にして街を根こそぎ破壊し、多くの命を奪いました。市内には、今もあの日のままの姿をとどめている被爆遺構があります。原爆による被害を知って、平和の重みを考えてみませんか。(「Newsがわかる2026年8月号」より)

原子爆弾(原爆)   ウランやプルトニウムといった原子核が分かれる時に発生する巨大なエネルギーを利用した核兵器のこと。爆発すると巨大な火の玉ができ、熱線と放射線が出され、はげしい爆風が起こる。日本は8月6日に広島、9日に長崎に落とされており、唯一、戦争で核兵器による攻撃を受けた国である。

片側を失っても立つ〝一本柱鳥居〟

今も建ち続ける山王神社の鳥居。2016年には原爆の悲惨な被害を伝える国の史跡「長崎原爆遺跡」に指定された=2025年8月

 山王神社の二の鳥居は、原爆の強烈な爆風で爆心地側の柱をもぎ取られ、1本柱になってしまいました。こうしてあの日の姿のまま、爆風のすさまじさを今に伝えています。
 爆心地から南東約800メートルに位置する山王神社には、四つの鳥居がありました。一と二の鳥居は爆風に対して平行に立っていたため、一の鳥居はほぼ原形のまま残り(その後、交通事故で倒壊)、二の鳥居は片側が吹き飛ばされたのです。さらに二の鳥居は、南側の笠木が東に13度回転し、爆心地方向に面した部分は熱線によって表面がはがれています。

※鳥居の上方の横に渡す部分のこと

〝一本柱鳥居〟のすぐ近くには、吹き飛ばされた片側の柱や笠木などが残されている=2月8日

熱線や爆風に耐えたクスノキ

山王神社のクスノキは推定樹齢500~600年。幹回りは右の木が8メートル、左が6メートル。東西に40メートル、南北25メートルに大きく枝葉を広げる=2025年8月

 「山王神社の境内の入り口には、2本の巨大なクスノキがそびえています。被爆クスノキと呼ばれるこの木は、原爆の暴風(秒速220メートル)によって幹には亀裂が入り、枝葉は吹き飛ばされて丸裸に。また、推定2000度もの熱線で焼け焦げて無残な姿となり、あたかも死んでしまったかのようでした。しかし、その後、新芽を出してよみがえり、「70年は草木も生えない」と言われていたこの地に希望を与えたのです。
 今なお力強く枝葉を広げるクスノキは、被爆の記憶を伝える「生き証人」として、また平和の象徴となっています。

幹の高さ3メートルにある空洞に、爆風によって舞い上がった石などが入っている。原爆の威力のすさまじさを物語る=2月8日
数字で見る原爆の被害

 原爆が投下された当時、長崎市の人口は約24万人でした。原爆によって1945年12月末までに7万3884人が亡くなりました。7万4909人が負傷し、原爆の熱線や爆風、放射線による病気(原爆症)が多くの人々を苦しめ、その不安は今も続いています。また、市内の1万8409戸(全戸数の約36%)が被害を受けました。

 原爆と放射線  長崎に投下された原爆は、プルトニウムが使われた。爆発後、直径約280メートルの火の玉ができ、その表面温度は太陽と同じくらいの約6000度。他の爆弾との大きな違いは、放射線を出すことだ。原爆の放射線を人間があびると、体のいろいろな細胞が傷つき、臓器などの働きが悪くなって病気になる。見た目には負傷していなくても、放射線を受けたために多くの人が亡くなった。
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