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「公害病の原点」・水俣病 公式確認から70年【ニュース知りたいんジャー】

熊本県水俣市《くまもとけんみなまたし》で発生《はっせい》し「公害《こうがい》の原点《げんてん》」といわれる水俣病《みなまたびょう》が、公式《こうしき》に確認《かくにん》されてから70年《ねん》をむかえました。排水《はいすい》で豊《ゆた》かな海《うみ》は汚《よご》され、地域《ちいき》にくらす人《ひと》が次々《つぎつぎ》とたおれ、命《いのち》をうばわれました。差別《さべつ》や偏見《へんけん》にも苦《くる》しめられました。いったいどんな病気《びょうき》なのでしょうか、なぜいまも解決《かいけつ》していないのでしょうか。

 いつ起《お》きたの?

 いまから70年《ねん》前《まえ》の1956年《ねん》5月《がつ》1日《ついたち》、「原因《げんいん》不明《ふめい》の脳症《のうしょう》状《じょう》がある患者《かんじゃ》が入院《にゅういん》した」と水俣《みなまた》保健所《ほけんじょ》に報告《ほうこく》がありました。この日《ひ》が水俣病《みなまたびょう》の「公式《こうしき》確認《かくにん》の日《ひ》」と呼《よ》ばれます。はじめは感染症《かんせんしょう》を疑《うたが》われ、患者《かんじゃ》が隔離《かくり》されることもありました。
 公式《こうしき》確認《かくにん》の約《やく》3年《ねん》後《ご》、熊本大学《くまもとだいがく》は「魚介類《ぎょかいるい》を通《つう》じた神経系《しんけいけい》の病気《びょうき》で、毒物《どくぶつ》として水銀《すいぎん》が注目《ちゅうもく》される」と発表《はっぴょう》しました。しかし、いろいろな化学製品《かがくせいひん》の原料《げんりょう》となるアセトアルデヒドを造《つく》りながら工場《こうじょう》排水《はいすい》を海《うみ》に流《なが》していた化学《かがく》メーカーの新日本窒素肥料《しんにほんちっそひりょう》(現《げん》チッソ、本社《ほんしゃ》・東京《とうきょう》)は、「実証《じっしょう》されていない推論《すいろん》だ」などと反論《はんろん》しました。国《くに》や熊本県《くまもとけん》も、排水《はいすい》を止《と》めさせたり、漁業《ぎょぎょう》を禁《きん》じたりするなど、海《うみ》の汚染《おせん》を想定《そうてい》した対策《たいさく》を取《と》りませんでした。
 国《くに》が工場《こうじょう》排水《はいすい》を原因《げんいん》と認《みと》め、水俣病《みなまたびょう》を公害《こうがい》と認定《にんてい》したのは1968年《ねん》。チッソがメチル水銀《すいぎん》の排出《はいしゅつ》につながる造《つく》り方《かた》を止《と》めたのはその4か月《げつ》前《まえ》にすぎず、公式《こうしき》確認《かくにん》から12年《ねん》間《かん》、排水《はいすい》を流《なが》し続《つづ》け、被害《ひがい》の拡大《かくだい》を招《まね》きました。これに先立《さきだ》つ1965年《ねん》には新潟県《にいがたけん》の阿賀野川《あがのがわ》流域《りゅういき》でも工場《こうじょう》排水《はいすい》にともなう新潟水俣病《にいがたみなまたびょう》の発生《はっせい》が確認《かくにん》されました。

 どんな病気《びょうき》なの?

 小《ちい》さな生《い》きものが、より大《おお》きな生《い》きものに食《た》べられ、栄養《えいよう》がつながっていくことを「食物連鎖《しょくもつれんさ》」といいます。水俣《みなまた》では、工場《こうじょう》排水《はいすい》にふくまれるメチル水銀《すいぎん》が食物連鎖《しょくもつれんさ》によって海《うみ》の中《なか》の魚《さかな》や貝《かい》にたまっていきました。水俣病《みなまたびょう》は、それを知《し》らずに食《た》べた人《ひと》の脳《のう》を中心《ちゅうしん》にダメージを与《あた》える神経系《しんけいけい》の病気《びょうき》です。
 ダメージを受《う》けた脳《のう》の場所《ばしょ》によって、手足《てあし》の感覚《かんかく》がなくなったり、真《ま》っすぐ歩《ある》けなくなったりします。目《め》が見《み》える範囲《はんい》がせまくなったり、耳《みみ》が聴《き》こえにくくなったりすることもあります。遺伝《いでん》や感染《かんせん》はしません。
 汚染《おせん》された魚《さかな》をいつ、どれくらい食《た》べたかによって症状《しょうじょう》はちがいます。壁《かべ》をかきむしって亡《な》くなっていった患者《かんじゃ》がいました。一方《いっぽう》、外見《がいけん》では分《わ》かりにくい神経症《しんけいしょう》状《じょう》のため「にせ患者《かんじゃ》」などと偏見《へんけん》や差別《さべつ》を受《う》けた患者《かんじゃ》も多《おお》くいました。お母《かあ》さんが口《くち》にした水銀《すいぎん》をお母《かあ》さんのおなかの中《なか》にいた時《とき》に取《と》りこみ、生《う》まれながらに水俣病《みなまたびょう》となった患者《かんじゃ》もいます。

 被害者《ひがいしゃ》はどれぐらいいるの?

 水俣病《みなまたびょう》の被害者《ひがいしゃ》がいったい何《なん》人《にん》いるのか、実《じつ》はいまも分《わ》かっていません。症状《しょうじょう》はさまざまで、水俣病《みなまたびょう》によるものと自分《じぶん》で分《わ》からなかったり、差別《さべつ》や偏見《へんけん》をおそれて名乗《なの》り出《で》なかったりする例《れい》が多《おお》くありました。全体《ぜんたい》の姿《すがた》を明《あき》らかにする調査《ちょうさ》も行《おこな》われないまま、時間《じかん》が過《す》ぎました。
 償《つぐな》いや救済《きゅうさい》の動《うご》きも迷走《めいそう》しました。チッソと患者《かんじゃ》団体《だんたい》は1973年《ねん》、患者《かんじゃ》1人《ひとり》あたり1600万《まん》~1800万《まん》円《えん》の一《いち》時《じ》金《きん》などを支払《しはら》う内容《ないよう》で補償《ほしょう》協定《きょうてい》を結《むす》びました。
 熊本県《くまもとけん》と鹿児島県《かごしまけん》の認定《にんてい》患者《かんじゃ》は計《けい》2284人《にん》です。今年《ことし》3月《がつ》時点《じてん》の生存者《せいぞんしゃ》は202人《にん》で1割《わり》に満《み》たなくなりました。
 一方《いっぽう》、国《くに》の認定基準《にんていきじゅん》で患者《かんじゃ》と認《みと》められていない人《ひと》たちは、裁判《さいばん》で救済《きゅうさい》を求《もと》めました。国《くに》は1995年《ねん》と2009年《ねん》の2度《ど》、政治主導《せいじしゅどう》で解決《かいけつ》を図《はか》り、熊本県《くまもとけん》と鹿児島県《かごしまけん》で約《やく》4万人《まんにん》が一時《いちじ》金《きん》などを受《う》け取《と》りました。一時《いちじ》金《きん》の対象《たいしょう》でなくても、医療費《いりょうひ》の自己負担《じこふたん》分《ぶん》を受《う》け取《と》った人《ひと》もいました。

水俣病公式確認70年の節目に、犠牲者慰霊式で黙とうをささげる参列者ら=熊本県水俣市で2026年5月1日

 まだ解決《かいけつ》していないの?

 救済《きゅうさい》を受《う》けていない住民《じゅうみん》らの裁判《さいばん》はいまも続《つづ》いています。福岡高等裁判所《ふくおかこうとうさいばんしょ》(高裁《こうさい》)や大阪高裁《おおさかこうさい》、東京地方裁判所《とうきょうちほうさいばんしょ》などで争《あらそ》う原告《げんこく》は1400人《にん》あまりに上《のぼ》ります。
 環境省《かんきょうしょう》は、水俣病《みなまたびょう》の客観《きゃっかん》的《てき》な調査《ちょうさ》手法《しゅほう》を開発《かいはつ》し、今年《こんねん》度《ど》から本格的《ほんかくてき》に行《おこな》う予定《よてい》です。神経《しんけい》細胞《さいぼう》の活動《かつどう》を測《はか》る装置《そうち》や、MRI(磁気《じき》共鳴《きょうめい》画像《がぞう》化《か》装置《そうち》)を使《つか》います。ただし、得《え》られる成果《せいか》は未知数《みちすう》です。

 教訓《きょうくん》は生《い》かされたの?

 「水銀《すいぎん》による汚染《おせん》から生《しょう》ずる健康《けんこう》及《およ》び環境《かんきょう》への深刻《しんこく》な影響《えいきょう》を防止《ぼうし》」。国際連合《こくさいれんごう》(国連《こくれん》)環境計画《かんきょうけいかく》(UNEP)主導《しゅどう》で2013年《ねん》、世界《せかい》的《てき》な水銀《すいぎん》管理《かんり》を目指《めざ》した条約《じょうやく》が採択《さいたく》されました。前文《ぜんぶん》には「水俣病《みなまたびょう》の重要《じゅうよう》な教訓《きょうくん》」の文言《もんごん》が入《はい》り、「水俣条約《みなまたじょうやく》」と命名《めいめい》されました。
 水俣《みなまた》の海《うみ》はおだやかさを取《と》りもどしました。しかし、2025年《ねん》、大手《おおて》の家庭教師《かていきょうし》会社《がいしゃ》が、動画《どうが》教材《きょうざい》で「水俣病《みなまたびょう》が恐《おそ》ろしいのは、遺伝《いでん》してしまうこと」と誤《あやま》って伝《つた》えていたことが分《わ》かりました。熊本県宇城市《くまもとけんうきし》も、市内《しない》全《ぜん》世帯《せたい》に配《くば》ったカレンダーで「水俣病《みなまたびょう》などの感染症《かんせんしょう》を正《ただ》しく知《し》っていますか」と誤《あやま》って記《しる》していました。
 水俣病《みなまたびょう》は人《ひと》の命《いのち》や環境《かんきょう》を軽《かろ》んじ、経済成長《けいざいせいちょう》を優先《ゆうせん》した戦後日本《せんごにほん》の過《あやま》ちです。関係《かんけい》し合《あ》う人《ひと》のくらしと環境《かんきょう》、経済活動《けいざいかつどう》をどのように成《な》り立《た》たせていくのか、問《と》いは形《かたち》を変《か》えて続《つづ》きます。水俣湾《みなまたわん》ぞいの犠牲者《ぎせいしゃ》慰霊碑《いれいひ》には「二度《にど》とこの悲劇《ひげき》は繰《く》り返《かえ》しません」と誓《ちか》いが刻《きざ》まれています。

(2026年ねん5月がつ6日むいか毎日小学生新聞まいにちしょうがくせいしんぶんより)

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