誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、8人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていく『子どもの哲学』シリーズ。最新刊の『同じクラスの子は友達ですか?』(毎日新聞出版刊)から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
なぜ今ここなのか?……ツチヤさん
あなたはとてつもない世界の謎に気づいてしまったね! そして、こんなにも壮大で摩訶不思議な謎なのに、この疑問を真剣に考えている人(特に大人!)にあなたはこれまで出会ったことがないかもしれないね。ひとたび気づいてしまうと、あなたの家族や、友達や、学校の先生が、この謎にまったく気づいていないか、気づいていても全然不思議なこととは思わずに(「大事なことはもっと他にあるよ!」と言わんばかりに)平然と暮らしていることに、あなたは驚いてしまうかもしれないね。そして、もしかしたらこんなことが気になる自分は変なのかもしれないと思ったり、他の人に言ったら笑われるから絶対自分だけの秘密にしておこうと思ったりして、なんとも言えない孤独感と恐怖心に押しつぶされそうになっているかもしれないね。でも安心して! 哲学者と呼ばれる人の中には、この謎を一生かけて考え抜いた人が何人もいるよ。あなたには実は仲間がいるんだ。だから、あなたが本当にこの謎が気になるなら、図書館の「哲学」の本棚の前に立って、読みやすそうな何冊かを手に取ってみることをおすすめするよ!
この謎の何よりも不思議な点は、これまで自分のいない時代は実際にたくさんあって、それで何も問題がなかったにもかかわらず、なぜか今はここに自分がいるということだ。戦国時代にはあなたはいなかったし、恐竜時代にもいなかった。23世紀の未来社会にもきっとあなたはいないだろう。それで困ることなんて何もない。それにもかかわらず、なぜ今僕はここにいるんだ? 僕がいてもいなくても世界は成立するのだとしたら、僕がここにいる意味は何なんだ? そもそも、僕がいない状態からいる状態に変わったことで、世界はいったい何が変わったのか? そして、再び僕がいなくなったら、世界は何が変わるのか?
……と、こんなふうに思いつくままに考えてみたけど、結局これってそもそもどういう疑問なんだろう? あなたはこの疑問を抱いたときにいったいどんな不思議をつかまえていたのか、というところから、ゆっくりゆっくり考えを進めていく必要がありそうだ。
「自分」が全員分ある?……ゴードさん
ふぅむ、なるほど。どうやら私は、ツチヤさんのいう「この疑問を真剣に考えていない大人」の方みたいだ。ちゃんと説明してもらうまで、「自分がいること」の不思議さがどういうものなのか、あまり感じられていなかったよ。でも、だんだんわかってきたかも。
そもそも日常生活では、自分以外のものについてさえ、「なぜ〇〇があるのか」と疑問に思うことは少ない。家で「あれ、この服、なんでここにあるんだっけ」と思うことはあるけど、それはたいてい、自分か家族が動かしたからだ。ゴキブリが出たら「なんでこんなところにいるんだ!」と思うけど、まぁ、私の掃除が足りなかったからだ。うちの近所のうどん屋やさんではなぜか餃子を売っていて、珍しいからびっくりするんだけど、「なぜうどん屋に餃子があるの?」って聞けばきっと、店長さんにはわけがあるはずだ。つまり、何かがそこにあることが意外で驚くことはあっても、たいていは「何らかの説明がつくはずだ」って納得できる。ところが、自分のこととなると、そう簡単にはいかない。この世に生まれ落ちたのはなぜ「他の誰かじゃなくて自分」だったのか、自分が「いない可能性だってあったのに」なぜいるのか、神様みたいな存在が「自分を生み出す理由」があったのか、といった疑問には、誰も答えてくれない。説明がつきそうにない感じがするよね。
私が感じる「自分の不思議」はそういう説明のつかなさだけではなくて、ちょっと別の不思議さもある。私にとっては「この私」が「自分」でしょう? 触ってる感じと触られてる感じが同時にするのも、痛いとか痒いとか感じるのも、それが「この私」に起きたときだけだ。いつも私は「私」と一緒にいるし、世界は「私」にくっついてくる感じがする。私が生まれる前も死んだ後も世界はあるらしいって考えてはいるけど、私がいる世界といない世界とでは何かが決定的に違う気がする。そういうふうに感じるのが「自分」ってものでしょう? だけどね、どうやら誰もが、すべての人が、それぞれその人のことを、そういう「自分」だと思っているらしい。それってなんか、ちゃんと考えてみると、くらくらして気持ち悪い。「自分」っていったい何なんだ、どうしてこんなに謎だらけなんだ?
どこから考えるのか……ムラセさん
なんか二人とも疑問に答えてくれていないね。どちらかというと、この問いの不思議さを嚙み締めて、もう一度自分なりに驚いているって感じだ。でも許してあげてほしいんだ。だってこの問題はそれぐらい繊細で難しいものだからだ。同時に、こうやって他の人の不思議に刺激されて、改めて自分で驚くとか問い直すというのは哲学をするときの大切なプロセスの一つなんだ。
ただ、二人の驚き方、不思議に感じているポイントはちょっと違うみたいだ。ツチヤさんは「自分」がいない時代はたくさんあって、たまたま「今」自分は生きている。そして、もし自分がいなくたって世界はなんの問題もなくスムーズに進むはずで、それなのに、なぜ今ここに自分がいるんだろう?と問うている。ゴードさんは、そういう不思議に加えて、他の誰もが自分のことを「自分」だって思っていることに驚いている。たしかに、自分だけが本物の「自分」な感じもするし、それが本当なら、他の人の「自分」は偽物ってことになるんだろうか? あなたやツチヤさんの不思議とは少し違うけど、これもけっこう不思議だね。
どうやら自分をめぐる問いはたくさんあるらしい。僕も二人の不思議さに刺激を受けて、この質問がどのくらい難しいかを説明してみたい。
まず、考えてみたいのは、科学はこの質問に答えられるのか、という問題だ。たとえば、あなたの遺伝子を隅から隅まで全部解析して、その上、ご両親にあなたの話をたくさん聞いたとしよう。生物学的な調査と、生育歴の聞き取り調査を行うんだ。そして、「これこれがあなたの遺伝子の特徴で、こんなふうに育ってきたんだよ」と答えたとしよう。どうだろう? これであなたは納得できるかな? あるいは、科学の中の別のアプローチ(脳科学的だったり、心理学的だったりするアプローチ)をして、自分のことを自分だと感じるときの、心のメカニズムや脳の仕組みを説明されたら納得するのかな? これらは、実際に、心理学や脳科学、あるいは、認知科学や生物学なんかで研究されている。
この問いの難しさの一つは、今の科学のやり方でちゃんと答えられるのか、よくわからないところにある。そして、もしそれが今の科学には答えられない質問なのだとしたら、科学的な研究がいずれ明らかにしてくれる問いなのだろうか。それとも、これは哲学にしか答えられない問いなのだろうか。実はこの質問はそれすらわからない。そんなとびっきりの不思議なんだ。
だからこそ、質問を嚙み砕いて、その不思議さを味わう必要がある。何を考えればこの問いを考えたことになるのか、そこから考える必要があるんだ。
★「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<8人の哲学者をご紹介>
河野哲也(こうの・てつや)
立教大学文学部教授。専門は、哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『じぶんで考え じぶんで話せる こどもを育てる哲学レッスン』、『教育哲学講義』ほか
土屋陽介(つちや・ようすけ)
開智国際大学教育学部教授。専門は子どもの哲学(P4C)、現代哲学、教育哲学。著書に『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』。共著に『対話的教育論の探究』、『徳の教育と哲学』、『まいにち哲学カレンダー』ほか。
村瀬智之(むらせ・ともゆき)
東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学、哲学教育。カフェフィロ正会員。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。
神戸和佳子(ごうど・わかこ)
長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科准教授。専門は教育哲学。共著に『子どもの哲学』、『中学道徳ラクイチ授業プラン』ほか。共訳書に『子どものための哲学教育ハンドブック』ほか。
松川えり(まつかわ・えり)
フリーランスの哲学プラクティショナー。専門は臨床哲学、ジェンダー・セクシュアリティ。カフェフィロ正会員。共著に『哲学カフェのつくりかた』、共訳書にシャロン・ケイ&ポール・トムソン著『中学生からの対話する哲学教室』。
小川泰治(おがわ・たいじ)
宇部工業高等専門学校一般科准教授。専門は哲学・倫理学、哲学プラクティス、技術者倫理教育。共著に『哲学対話と教育』、共訳書に『もし友だちがロボットだったら?』、編著に『哲学対話日記』(ZINE)ほか。
李伽倻(り・かや)
香港大学教育学部研究助教。専門は分析哲学・教育哲学・教育倫理。共著に『Sen, Dewey, and Education (アマルティア・セン、ジョン・デューイ、そして教育)』ほか。
渡邉文(わたなべ・あや)
立教大学文学部教育研究コーディネーター。専門は子どもの哲学、比較教育学。共著に『対話的教育論の探究』、『こどもたちが考え、話し合うための絵本ガイドブック』等。共訳書に『見えない微笑み:表情を失って生きること』。
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