スクールエコノミストは、私立中高一貫校の【最先進教育】の紹介を目的とした「12歳の学習デザインガイド」。今回は女子学院中学校を紹介します。

キリスト教精神でパイオニアとなった、女子学院の創立者と卒業生たち
<注目ポイント>
①キリスト教精神が育む「他者のために力を尽くす」校風の根幹。
②日本の近代看護の先駆者、大関ちかと鈴木雅の画期的な役割。
③今に受け継がれる「献身」の精神を発揮する卒業生の活躍。
女子学院を築いた3人の女性
キリスト教精神を教育の根幹とし、自らに問う姿勢を持つ女性の育成を目指す女子学院の創立は、宣教師夫人ジュリア・カロゾルスが自宅で英語を教え始めた1870年に遡る。4年後、宣教師マリー・パークとケイト・ヤングマンらが後の新栄女学校となる学校を創立。その後にカロゾルスの意志を引き継ぐ原女学校を吸収、1890年には桜井女学校と合併して、女子学院が誕生した。
合併の立役者は、新栄、桜井両校で教鞭をとっていた宣教師マリア・ツルー。「日本の女子教育は日本女性の手によって完成されるべき」という信念で、教員の矢嶋楫子を初代院長に推した。矢嶋はそれに応え、校則を定めず生徒の自治を重んじる方針を打ち立てた。この精神は、4つの生活規定のみが存在する今日の女子学院の校風の礎となっている。
ツルーが示した「高尚なる志を活かす真の力を養成し、他人や社会に尽くす」という教育理念は、矢嶋をはじめ教員らに実践された。さらに今に至る土台を確固たるものにしたのが、女子学院高等科一期生でもある三谷民子第4代院長だと、図書館・資料室の佐藤裕理絵教諭はいう。三谷は「己の才能を誇るのではなく、手に汗して日常の営みをしなさい」と説き、「学問はもちろんエプロンを着けて家事もしましょう」という“才媛主義より前掛け主義”を提唱した人物だ。「勉強だけをしていればよいのではなく、身の回りのことを自分でできるように育ってほしい、という民子院長の願いは、今の女子学院の教育方針に深く根付いています」と佐藤教諭。全教科を等しく大切にし、中学生の長期休みの課題に「生活訓練(家事の手伝い)」が挙げられていることがその一端だ。
“看護婦”の地位を確立した2人の卒業生
ツルーが桜井女学校内に看護婦養成所を設立したのは1886年のこと。人の痛みや苦しみを癒す専門職の必要性を痛感していたツルーは、“トレインドナース”、すなわち“訓練を受けた看護婦”を世に送り出すことを目指した。
この養成所の一期生が、現在放送中のNHK連続テレビ小説『風、薫る』の主人公たちのモデルになった大関ちかと鈴木雅だ。下野国黒羽藩の家老の娘だったちかは、明治維新で家が没落し、自活の道を模索する中で看護婦という職に出会う。「人の苦しみを癒すのは神の慈愛を示すこと」と牧師の説得を受け、キリスト教精神を看護の現場で実践することに生涯を捧げた。雅は夫との死別を機に看護の道へ。ナイチンゲール看護学校出身の教員の通訳を務め、卒業後は訪問看護事業(慈善看護婦会)を立ち上げるなど経営能力も発揮した。2人は「志を同じくする者」として深く信頼し合い、雅は若くして引退する際に自分の事業の後継者としてちかを指名した。
2人は活動を通じて「看護は専門職である」という認識を世に広め、看護制度確立の礎を築く。「“看護婦”という日本で初めての専門職を確立したこと、専門職としての誇りと志を示し、当時の女性たちの社会進出の新たな道を切り拓くと共に、まだ曖昧だった“健康”や“衛生”といった概念を社会に根付かせ、誰もが健やかに生きる権利を持つという考え方を広めたのは画期的でした」と佐藤教諭。“他者のために自分の能力を活かす”というちかと雅の姿は、女子学院の精神を象徴するものだ。「大切なのは、献身とはただ自己を犠牲にするのではなく、自分自身を大切にしながら他者に貢献する姿勢だということです」

桜井女学校付属看護婦養成所の第一期生。卒業証書を手にしている。右端に着席しているのが大関ちか
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